「生きたい」と思えるということは、幸せなことなのかもしれませんね
上の甥っ子Rちゃんの通う小学校が春休みに突入したため、妹と甥っ子たちが、昨日から我が家に遊びに来ています(*^O^*)下の甥っ子Tちゃんは、もうすぐ1歳半力も強くなって重い物も動かせるようになり、背も伸びて手の届く範囲も増えたので、私の部屋も大々的に片付けなくてはならなくなりました(^O^;)金曜日に透析を終えて帰ってきてからは、私の部屋の低い位置にある “日常生活に必要な物” を全て高い位置に移し、アロマグッズや仕事の資料など、とりあえず使わなくてよい物は箱に詰め、ほぼ徹夜で部屋の中をスッキリと片付けましたよ〜まぁ、透析中はウトウト寝ていたので、帰ってきてから徹夜しても体力的には大丈夫なんですけどね甥っ子たちのいる来週は、なるべく残業はしたくないのが本音ですが、春休みなので (いつもは少ない) 若い患者さんたちの受診も増え、更に農作業が始まる前に手術を希望される患者さんの受診も増えるので、甥っ子たちと遊べる時間が限られてしまうのが悲しいです(T_T)透析という技術が無ければ、RちゃんやTちゃんに会うことすらできなかった私ですから、透析生活を送ることができる環境に感謝しなくてはいけないと理解はしているんですけど、こういう時には 「透析さえなければ、もっと一緒にいられるのに」 と、本末転倒な不平不満を抱いてしまう、心の弱い良からぬ自分もいます。今、甥っ子たちの寝顔を見ながら考えているのですが、もし私が天涯孤独で、この世に両親も甥っ子たちも存在しなかったとしたら、今のように前向きに、透析人生を受け止めることはできなかったかもしれません。10代の頃から 「いつの日か、透析生活になるかも」 という覚悟はありましたが、24歳で実際に 「透析導入を真剣に考えましょう」 と言われた時にはショックでしたし、「ついに、ここまで来てしまった」 という絶望感もありました。でも当時は、私よりも両親のほうがショックを受けていた (ように私には見えた) ため、私は 「透析になったからって、人生終わりってわけじゃない」 と強がりを言いつつ、両親を安心させるために “元気で前向きな自分” を演じていたような気もします。でも演じているうちに、自分自身でも、「想像していたよりも、私って意外と元気じゃん」 と感じるようになり、「仕事ももっとできるかも旅行にだって行けるかも」 という希望が出てきて、少しずつ今の自分に近づいてきたんだと思うんですよ。そして、可愛い甥っ子のRちゃんの誕生で、「この子が成人するくらいまでは、元気に生き続けたい」 という強い欲が出てきて、Tちゃんの誕生で 「更に長生きしなくちゃ」 と強く願うようになりました。私だって、体調が悪い時には気弱になってしまうこともありますし、「何で、こんな辛い思いまでして生き続けるんだろう」 という負の気持ちに、心が引きずり込まれそうになった経験もあります。でも、こんな私を慕ってくれて愛してくれる家族がいるからこそ、「前向きに元気に生き続けなくちゃ」 という気持ちをギリギリのところで思い出すことができている気がするんです。自分たちにそんなパワーがあることなど何も知らずに、気持ちよさそうにスヤスヤ眠っている甥っ子2人の顔を見ていると、「幸せだなぁ」 と心の底から思えますねにほんブログ村 応援クリック、いつもありがとうございます★ →ブログランキング 今後とも、ヨロシクお願いいたします★ →