世間で話題の『あの人たち』を見て思うこと
2ヶ月以上続いた残業地獄も漸く終わり、先週は20時頃には職場を出ることができるようになりましたこれでやっと、人間らしい生活に戻れそうです心配してくださった皆さま、本当にありがとうございました季節は冬から春に移り変わり、気温もドンドン上がってきて、日中は車に乗っているとクーラーをつけたくなるくらいの暑さですが、私が暮らしている地域では、朝晩と日中とでは全くの別世界最高気温と最低気温との 気温差が20℃ もあるものですから、朝晩はまだまだコートが手放せません毎年のことですが、、、この気温差は私の怠さの一因ですさて、仕事が忙しくバタバタしていた時期に、世間で騒がれていたことの中で、私が気になった話題の人が2人いました。何年も解決されないままの、所謂 『金銭トラブル』 の人と、マスコミまで呼びつけて意見を発信した 『合理的配慮』 の人。この2つの出来事に、私が共通して感じたことがあります。それは、「人間は感情の生き物だから、その感情を逆撫でするような言動をしてしまうと、たとえ法的には正しいことであったとしても、共感を得るのは難しいんじゃないかな」 ということ。私もそういう傾向がありますけど、特に日本人の場合は、「法律的に、どうか」 ということだけでなく、「人間として、どうか」 ということを重視する人が多い気がします。それは、お世話になったら 「ありがとう」 と言えるかどうかだったり、迷惑をかけてしまったら 「ごめんなさい」 と言えるかどうかだったり、自分の希望を通したいときに 「お願いします」 と言えるかどうかだったり。だから、そういうことをしないまま、何かしらの意見を発信するときに、法律だけを盾にして、「私が正義だ相手が間違っている」 と声高に主張してしまうと、世間からは 「でもね」 って言われてしまう印象を強く受けます。『金銭トラブル』 の人の場合は、経緯がどうであれ、お世話になったことは事実なんですから、そのことに対する心からの感謝の念をキチンと伝えることができていれば、ここまで泥沼化することは無かったのではないかと感じます。『合理的配慮』 の人の場合も、駅員の言動に矛盾や行き違いはあったにせよ、最終的には自分の希望に添った対応をしていただけたのですから、そのことに対しては感謝して良かったのではないかと思うのですが、マスコミを使って一方的に不備を咎め立てるようなことをしたために、世間の反感を買ってしまったように思うんです。注:『合理的配慮』 の人のブログも拝見しましたが、 来宮駅の構内図を見て、階段の有無がわからなかったにもかかわらず、 事前に駅に連絡して対応可能かの確認することなく、 駅に 「行ってから考えよう」 という選択をするなど、 ご本人の準備不足にも問題の一因はあったのではないかと、 私は感じました。 こういう問題が起きるたびに思うことですが、『一方が100%正しくて、一方が100%間違っている』 という事例は極めて稀で、大抵の場合は、お互いに (多かれ少なかれ) 非があるわけですから、少しずつ譲り合うことができたら解決できることなんですよね。日本は法治国家ですから、法律はモチロン大事なものです。でも、法律云々を持ち出してくる前に、まずは話し合いや譲り合いという方法によって、お互いの意見や感情の隙間を埋めるための努力ができるかどうか、そこで人間としての器が試されるのではないかと思います。我が職場でも、患者さんとのトラブルはゼロではありませんが、こういう事例も参考にしながら、我が身を振り返って、自分自身の今後の対応に活かすことができれば、、、と感じました。にほんブログ村 いつもありがとうございます♪→ブログランキング 今後とも、ヨロシクお願いいたします★ →