5類になるまで、懸命に頑張ってくれました
父方の伯父が亡くなりました。伯父が怪我をして入院したのは2年前。運の悪いことにコロナ禍での入院となってしまったため、長いこと家族の誰とも面会できず、病院スタッフとも最低限の接点しか持てなかったせいか、入院中に一気に認知症が進んでしまったようでした。そのため、怪我が治ってからも自宅に帰ることはできず、退院後、介護施設に入所することになったのですが、そこでも面会制限があり寂しい毎日だったようです。昨年末からは条件付きでの面会がOKになりましたが、息子たち (=我が従兄) は遠くに暮らしているので、弟である我が父が時々面会に行っていましたが、認知症のせいで 「会話が成り立たない」 と、父が悲しそうに言っていたのが印象に残っています。そして、2ヶ月くらい前から伯父は体調を崩し、介護施設から病院へと移っていましたが、先日、我が両親に看取られつつ息をひきとりました。結局、私は伯父と3年くらい会えないまま、お別れすることになってしまいました。最後の2年間、伯父は本当に寂しかったろうと思います。もし新型コロナなんてものが存在しなかったら、認知症になるのも遅らせることができたでしょうし、家族と一緒に思い出話をしながら、最後の時を迎えられたかもしれません。そう考えると、新型コロナが憎くてたまらないですでも伯父は最後に、ドクターも驚くくらいに頑張ってくれましたGWを乗り越えるのは難しいと思われていたようですが、新型コロナが5類へ移行するまで頑張ってくれたおかげで、面会制限も緩和され、家族 (=我が従兄夫婦とその子供たち) も生きている間に伯父と会い、お別れをすることができました。親孝行ならぬ、子孝行ですね。コロナ禍では世界中の人が辛い思いをしましたが、特に日本では、若い皆さんが大きな被害を受けましたよね。学校行事が制限されて、修学旅行も運動会も入学式や卒業式さえ充分にできないまま、辛い時期を過ごした若い皆さんは、本当に我慢したと思います。でも多くの若い方たちには、これから長い人生が待っています。大人になった時に、「あの時は大変だったよね〜」 と、思い出話の1つとしてコロナ禍を語り合える時も来るでしょう。でも、伯父のような高齢者の場合、残された人生はものすごく短く、その短い時間をコロナ禍で制限されることは、取り返しがつかない結果に繋がるのだと、改めて感じました。伯父はそのことを、身をもって私たちに教えてくれたのですね。今頃、既にあちらの世界にいる伯母に出会って、「聞いてくれよ〜下界では大変だったんだよ〜」 と、いろいろなことを報告しているのかもしれません。本当に、お疲れさまでした。にほんブログ村 いつもありがとうございます♪→ブログランキング 今後とも、ヨロシクお願いいたします★ →