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― 住と職が一致しないことが現代社会のいろんな問題の背景 ―
このお話を今日ある方から聞いて、ハっとしました。 住職さんの話じゃないです。「住むこと」と「働くこと」の関係。 話していただいたことと自分の気持を整理するために、今日はこのことについて書いてみます。 私は高校まで実家に住み、それ以降は広島・マレーシア・徳島・東京と移り住んできました。 これまでいろんな土地で新しい人とか文化に出会い、世界観を広めることができました。 ただそこに抜けていたのは「住」という感覚。 どの土地でも、ゴミは捨てるけど地域とは全く関係ない存在として、 一時的な住まいのワンルームマンションに暮らしていました。 そこに住む目的は会社であり学校であり、住はあくまで職についてきた結果でした。 人間は生まれつき誰もが故郷を求める本能をもっているのだと思います。 今わたしが求めている地域への思いも、これまで満たされなかった住に関係しているのかもしれません。 ひとりのとき、もしくは夫婦だけのときは、地域とのつながりなくても生きていけます。 そこへ子供が生まれて、学校へ行くようになると、自治体とか地域とのつながりが必要になってきます。 でも現代社会では例えば私立学校に通ったりして、必ずしも地域と関係しなくても生きていけたりもします。 今日聞いたのは、地域と関わっている意識なく育てられた子供はかわいそうだということです。 そんなこと今まで考えたこともなかったけれど、確かに 信じられないような事件の数々をみても、マナーが悪いといわれてる若者の行動を見ても、 自分と地域との関わりを深く感じていたら どんな迷惑がかかってどんなに人を傷つけるか察することができて もしかしてそんなことしなくて済んだかもしれません。 さてここで私に重ねてみると・・・・・ 私って住を意識する覚悟あったのかな。ふと我に返りました。 この先どこかに住んだとして、またゴミ捨てるだけの住人になりかねないんじゃないか。 現代人が地域との関わりを避け始めた理由って、 面倒だし、ダサいし、 自分の生活だけで忙しいから暇な人にやってもらえばいい、 近所付き合いも、しょうもない噂話ばかりじゃ時間の無駄。 ・・・・ってことだよね、たぶん。 実は私もおんなじようなこと考えてしまう。 親が地域の行事や当番に参加してるのをみて大変だなぁと思って、 自分は大人になってこんなこと絶対したくないなぁとも思ってた。 私たち一家は引っ越してきたニューファミリーだから 地域活動に深く関わらなくてもいいとも思ってた。 いくら愛媛で地域活性っていっても、こんなままじゃ 結局、広島や東京で感じたのと同じ結果になりはしないか。 再びわたしは自分探しの旅に出てしまうんじゃないかな。 もっと言うと、今の煮え切らない感を愛媛に戻れば解決できると安易に思ってただけじゃないかな。 私自身は東京にいてもどこにいても日々の生活でアウトプットできるもの。 いまのフィールドでできてないことが、新しいフィールドで出来るのか。 私が言葉にしている想いは、まだまだうわべで、すぐになくなりそうな気がした。 すぐ後ろを歩いてくる少し年下の子たちに伝えたくても、中身がなくて見透かされそうな気がしてきた。 いろんな人の話を聞くうちに、心の中の不安や、避けてきた根本的な部分などが見えてくる。 これからは、仕事のためにそこに仮住まいするんじゃなくて、意識的に住人となるのかもしれない。 住の意識とかこれまでより少し大きな視点も含めて、やりたかったことをもう一度考えてみたいと思っています。 人に伝えるためには、私自身のメッセージをもっともっとしっかり持たなくちゃと感じた日でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.01.07 03:59:55
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