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司馬遼太郎さんの書く義経という本は、義経の一生を書いたもので、頼朝や、平家については、参考程度の事しか書いていない。
つまり、義経以外のことには僕はまったくわからん。(おいおい!) 大河ドラマのないようも、半分くらいしか分からないし。 まあ、そんなことが書きたいのではないのでした。 義経という人は、司馬さんがかくに、肉親コンプレックスの権化で、情にもろい反面、世間の事に関して無学、無関心、むしろ俗的なことを疎んじている。 おまけとして、戦争の天才で、(どんなおまけだよ)カリスマがある。 僕は別に目立った才能がない、魅力も特にない。つまりいい部分は全然かなさならない。 けど、家族とは結局なんだかごろごろしたものを抱え、人の愛を欲しているのに人付き合いが苦手、現代には「アダルトチルドレン」という便利な言葉があるが、(皮肉)そんな一言ではいえない心模様がある。 司馬さんは文中で、「人の世を動かしているものは、情緒ではなく、実利益、利害である」と何度も書いている。そうだとおもう、皆ありとあらゆる事を、家族、金、愛、性、友、一時はかけがえのない物と大事に思っても、利害によっては割り切り、黙認したり排除したり、無視したりする。レアだった感情が、ミディアムに、ウェルダンに、冷めていく、乾いていく、それがいたいほど分かっていても、人にはみなきっと「わりきれないなにか」があると僕は信じている。特に自分自身に対して。 義経の割り切れないものは家族、大功を立てて得たいものは愛であり、官位ではなかったはずだ。実際の義経という人はどうだったかは知らない、けれど司馬さんの書く義経の心模様は笑っちゃうくらいよくわかった。 兄の頼朝に対して、おじの行家、それらに対してあまりにもつねに、レアな感傷を持ち続け、結局身を滅ぼす。 あいたた、くるしみも、むなしさも、義経を通して思い起こされることの多いこと。 ちなみにタッキーの義経も嫌いじゃない。きれいな顔過ぎて、人形みたいだと思うこともあるけど。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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