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カテゴリ:日々是好日
「普代村に来るとき営農モデルのようなものは持っていましたか」
「農業をやろうと決めたときは、漠然と三つの形を考えていた。自給的に作物を作って、 生活の資は別に求める。本格的に百姓をやる。両者の中間的形態。実際にどの形態という のは住む場所や条件である程度限定されるから、入植地を決めてからくらいの考えだった。 農業と限定しないで普代村で暮らしていけるか?と考えてみれば、考え方にもよるけれど 海の幸・山の幸に恵まれ、自然に恵まれ、都会では考えられないような贅沢な生活が出来 る。これ自体が立派な資源で、これを資本化・商品化できれば経営対象になるね。一般的 にはこれを機会と捉えれば、都会の百姓志望の人達に機会を提供するという経営の可能性 もある。いわゆる団塊の世代の田園回帰現象が、これから5-10年というスパンで起き てくると考えているけれど、こういう人を対象に農業体験の機会を提供するという仕事は ある。東京の全国農業会議所という所は新規就農者の相談や就農斡旋なんかをやっている けれど、十数年前にそこに行ったときの話では、例えば電話相談が千件あったとすると、 その内から窓口まで来て相談するのは一割程度、その中で実際に就農するのは一人か二人 いるかどうかだと話していた。ということは新規に農業を始める人間が一人いれば、その 数百倍の百姓志望者がいるということだ。実際に百姓になってしまうだけの決心は付かな いけれど、機会があれば百姓の真似事はしてみたいと云うことだろ。また団塊の世代を対 象にしたアンケートでは、退職後は田舎に住みたいという希望者が5-6割に及ぶそうだ けれど、これが全部農業志望ではないとしても、自然と接する機会を求めているというこ とだろ。自然に接する色々な体験を提供すしうる自然資源という点では、我々は確実に恵 まれている。そういう意味での機会や可能性は沢山あると思うね。人の敷いた軌道に乗っ かってホウレンソウやリンドウ、キュウリなどハウス栽培をやるのも経営には違いないし、 取り敢えずは生活面では安心だけれど、面白みはない。自分で仕事を作り出して行く創造 性がなければ経営は成り立たない。創造性の余地が広いほど経営としての面白みはあるけ れど、不安定性は増大する。逆になれば逆だね。どのへんの所で妥協して、というか手を 打って生きて行くかは、自分の能力や生活スタイル、考え方で選択すれば良いことだ」 「しかしこれじゃ、ある意味では雲を掴むような話だ。でも、現実にここで5-6町歩で 生活できるような営農スタイルというと、ハウス経営を一部取り入れていかないと無理だ ろう。ハウスを含めた複合的経営を上手に運営して行くには、ある程度、ハウスを専門的 に見られる人間が必要だから、共同経営だとか家族経営でないと難しい。一方、畑作だけ で生活して行くには10町歩でも困難だろうね。現実的には、いまの僕にはそんな程度の ことしか云えないけれど、この地で頑張っていれば、ここの自然資源とそれを利活用する ノウハウそのものが商品になりうる可能性はあると思うよ」 「それから最後に、君達は二人で共同経営を考えているの、それとも別々?....まだ 決めてない、そう。比ゆ的な話で云うとグループ登山と単独行は、同じ登山でも本質的に 違うというくらいに違う。グループ登山は、体力と協調性があればなんとかこなせる。し かし単独行というのは、体力や協調性ではどうにもならない。特に冬山の単独行は、些細 なミスが死につながりかねないし、グループなら補い合えるところも、全部一人で処理し なければならない。いざという場合の退却路とか逃げ道は考えておくけれど、骨折しとか 動けないとかになれば、それも役立たない。昔からの共同体に外部からやって来て、農業 をやるということは単独行に似たところがある。村落共同体という意識が強いところも、 弱いところもある。同じ村の内部でも部落によって差がある。単独行であるにもかかわら ず、周囲との協調性の如何によっては色々な制約を受ける場合がある。一方、単独行だと 云っても地域ぐるみの生産にのって、例えばホウレンソウのハウス栽培をやればグループ 登山みたいなもんだ。そいうものと別に自分なりの営農スタイルを築いていこうと思えば 単独行にはなるけれど、共同経営者がいれば、グループ登山にもなりうる。僕は、どっち が良いとか、どっちを選ぶべきだとは云わないけれど、同じ登山のように見えて、両者は 本質的に違うというくらいに違う能力が必要だということは云える」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006/07/24 10:33:45 PM
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