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陶玄郷だより (フラクタルの森)

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カテゴリ:カテゴリ未分類
政教分離が言われるのは
国家権力が一つの宗教を養護し
他の宗教、他の宗派を弾圧してはならないとしているのであり
宗教が政治に関わってはいけないとしているのではない
国民には、信教の自由を完全に与えなければならないだけのこと

中国などは、共産党の一党独裁であり信教の自由も結社の自由も無い
無宗教という世界観で牛耳っている国家である
これがどれだけ恐ろしいことか
チベットでの抗議の焼身自殺の数を見ても気づくべきなのだ
中国などは、無宗教という思想が独裁し
政教分離が行われていない国家だと観なければならない

全ては陰と陽の循環で流れているように
政治経済(陽)に思想宗教(陰)、精神性が必要でないことなどあり得ない
全ての成り立ちには「思い(陰)」があって「行い(陽)」があるように、
政治の中の思いの中身に信仰心が無いということは
それぞれの欲得だけの獣の野合でしかなくなってしまう
それがどれほど醜いモノか気づかないとすれば愚かとしか言いようが無い
政治家は、どのような精神性(思想・宗教)に基づいて
政治を行い国民を導いて行こうとするのか公表すべきでしょう
結局は思いが仕事をするのだから
思いの中身を深く公表して国民の選択にゆだねる事だ

その考え方(見方と思い方)の成果は、必ず具体化され
その思想がいかなるモノであったのかが解ることだろう
天の思い、高次なる神仏の思いがそこに在るとすれば
運も良くなるしかないことであろうし
良い成果に結びつくことでもあるだろう

どの政治家が天の意志に近いことをやろうとしているのか
それが解らない以上
信教の自由を認め切磋琢磨し競い合うことも
それも天意なのではないだろうか
あまりにも天意を無視し、
やりたい放題の事でこの地上世界を汚すなら
野獣の群に政治経済をかき乱され
紛争が世界中を覆い自滅することになろうとも
どれほどの天変地異が襲いかかろうとも
そのまま放置されることだろう

人々の思いと行いでこの地球を創る事が許され
思いの向上、魂の向上を図る権利が与えられ
その結果、幸福実現という義務が与えられているいじょう
その権利と義務を全うできるかどうか?
全ては自業自得でもある












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Last updated  2012.12.14 09:44:45



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