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テーマ:愛犬のいる生活(76893)
カテゴリ:犬
画像は在りし日の茶々丸(子犬)と、ひまわりの若い頃(母が生きていた頃)です。
*** 茶々丸の最期の時を思うとき、どうしても遺体が我が家へ帰ってこられなかったことが悔やまれてなりません😢 遠い地で、一人ぼっちで埋葬されてしまった茶々くん。 父の仕事は大型トラックの運転手です。 昨今の燃料費の高騰は、空荷のままトラックを走らせることを許してくれないのが現状です。 私が子供の頃はほぼ毎日帰宅していた父も、ここ数年は週に一度家に帰ってくればいいほうで、そのほとんどの日々をトラックで寝泊まりして過ごしています。 とはいえ大型トラックの運転席&助手席後部には大人一人が悠々足を伸ばして寝そべれるシングルベッドくらいの空間があって...父はここ数年年老いた(15才の)愛犬ひまわりとともにそこで寝起きしているので普通の車中泊とはイメージが異なります。 茶々丸も(ケージ内ではありましたが)、そこに加わって生活をともにしていました。 普段私たちが乗るような車と違い、とても大きな車体を持つトラックは、駐車できる場所も限られています。 そんななかで、茶々丸が怪我をすれば慣れない地で獣医を探して連れていき、常備薬が切れそうになれば追加をもらいに行き、と父は出来る限りの事をしてくれたと思っています。 ご飯を自力では食べられない茶々丸に寄り添い、介助してご飯もあげてくれていました。 ひまわりと一緒にお散歩も朝晩欠かさず連れて歩いてくれました。 発作が起こると手当たり次第に物に噛みつき、最終的には自分に牙を向けるようになった茶々丸を、身を切られるような思いで見守ってくれたのも父でした。 茶々が足を噛まないように木などを噛ませたりしたそうですが、そういう様は見ていると辛くて涙が出た、と話してくれました。 なので...よそ様から見ればもしかしたら「どうして茶々くんの亡骸を連れて帰らなかったのか?」と責められるかもしれませんが、私はそれが出来ませんでした。 茶々丸を遠い地へ一人おいて来なければならなかったことを、一番悲しんでいたのは他ならぬ父本人だったから。 それが痛いほど分かったから「なんで?」とは言えなかった。 頭のなかでは思うんです。 お骨にしてでも連れて帰って欲しかった、って。 でも...言えません。 身内の緩さかもしれませんが、父を責めることは私には出来ません。 色々な先生から安楽死を薦められていた茶々丸。 もしかしたら苦しんだ最期を思うと、そうしていた方が茶々丸もよかったのかも知れません。 でも父は言いました。 「お医者さんだって好き好んで命を奪いたいわけはなかったんだから...誰かにその嫌な役をさせずに逝った茶々丸は本当にいい子だったと思う」って。 父に言われるまで安楽死を薦めてきた側の先生のことなんて考えもしなかったのでハッとさせられました。 あと、亡骸を連れ帰れなかったことで、茶々丸の血まみれの傷ついた足を私に見せずにいられたのは幸いだった、とも。 私だけは足に怪我をしてない頃のあいつを思い出してやって欲しい、わしは無理だから...と。 命を預かるのは本当に難しいです。 出会いよりも別れの形がどうなるか。 これが一番難しいんだ、と茶々丸のことで思い知らされました。 今まで我が家で看取れてきた子達は...ある意味運が良かっただけなのかなぁ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.08.31 08:11:25
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