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「日本語を愛す」 1565字
「日本語で話しているだけでもうれしいです」。偶然に知り会ったある日本女性が電話の中でこう言った。日本から1年程前にアメリカに来て、アメリカ人と結婚し、隣町パソロブレスに住んでいる年齢40代の日本女性である。完璧な英語を話す。愛嬌の良い、気さくな彼女は、自分から話しかけて、誰とでも打ち解けやすい。彼女の口からこんな言葉が出るとは想像もしていなかった。日本語が恋しくなったのか、少しホームシックになったのかもしれない。 「日本語で話しているだけでもうれしいです」、私にピッタリの言葉だと思った。私はいつも心の中で、これに似たような言葉を捜しているようであったが、この言葉のように、ぴったりの言葉は考え付かなかった。やはり、私は元大工で、家を建てる木材は使えこなせるが、こんな言葉は使えこなせない。この言葉はアメリカ人ばかりの山奥の村に17年以上も住んでいる私の口から出る新鮮な言葉のようである。 私は彼女と電話で話していて、日頃、なんとなく使っている日本語の大事さ、ありがたさに感謝しようと思い直した。日本語は日本人の心の中に住んでいる小さい頃からの親しい友達であり、家族であり、故郷のようであり、日本の服装であり、日本食である。私は彼女の気持ちが手にとってわかるような気がする。日本人が少ないこの町ではウォールマートか大きなマーケット、アルバートソンやボンズで、1年に2、3回日本人を見かけるぐらいである。日本人らしき顔の人を見かけると、その人から目が離れない。いや、心も離れない。少し、そわそわ、わくわくする。日本語で話したい。でも、不思議と、日本人は目と目が合いそうになると、目をそらす人が多い。「日本人ですか、日本語を話せますか」と言う勇気が出ないのだろうか、それとも日本人同士の関わりが嫌なのだろうか、私にはわからない。以前、会った日本人に声をかけてみたが、相手にされなかったので、この頃はもう、声をかける気がしない。 私と嫁はんは、英語の壁を乗り越えたい時は、日本食レストランへ行く。この町に4軒の日本食レストランがあるが、日本人経営の日本食レストランは1軒だけである。後の3軒は、韓国人経営で、寿司職人も韓国人か、メキシカンである。日本語が通じないすし屋である。だからその1軒の日本食レストランへ行く。日本人のすし職人とウェイトレスを見に行くのである、いや、英語の壁から外に出たいからである。日本食レストランへ日本食を食べに行くのはその次である。本心は日本語が話したいからである。レストランに入った途端に、日本人の従業員に「日本語」で話したくてウズウズする。 何時、行っても白人の客で繁盛している。寿司カウンターの席が空いている時は少ない。でもカウンターに座って、すし職人と、「日本語」で話がしたい。「待つ、待つ、カウンターの席が空くまで待ちまんがな」、と少し興奮した声で、目を日本人の寿司職人に釘付けにしながら、ウェイトレスに言う。私は現役の大工の頃、ロスアンジェルスで、沢山の寿司屋のカウンターを造った。寿司やに入ればカウンターに座りたいのだ。寿司職人は「忙しい」に「猛烈」をつけて、忙しい。 「息をする間はあるかいあな」と思うほど、手、目、耳、顔と身体中を忙しく動かしながら寿司を握っている。このタコを3個握って、次に中トロを2個握って、その次はこの伝票、その後はあの伝票と、まな板の横には注文伝票がずらりと並べてある。頭の中にも伝票がずらりと並んでいるにちがいない。合間に、「アナゴ2丁、ハマチ2丁」と、声での注文も入る。 そんな忙しい彼らの隙を見つけて話しかけるのは致難の技である。私は何回か通うちに、隙の見つけ方を発見した。日本語で話することに飢えている私にはただの発見ではない、大発見である。その隙はどこに現れるか? 彼らの口元である。口元が緩む時である。その時に、英語やない、「日本語」で話しかけるのである。忙しいのにすまないという気持ちも込めて話しかける。一瞬の出来事である。それがたったの二言三言だけで、続けて話ができない。途切れる。ひっきりなしに注文の伝票が回ってくるのである。忙しい寿司職人に話しかけるのは勝つか負けるかの真剣勝負のようである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.12.23 09:13:36
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