テーマ:社会のあり方を考える(116)
カテゴリ:社会系エッセイ
年が明けてすぐにお葬式がありました。姑の兄嫁に当たる人。なくなったのは、年末でしたが、やはりお葬式はね。年があけるまで、保留。 夫の代りに出るようにいわれて、いってきました。 なんかね。 最近の都市部は、もう昔のように家で葬式のできる状況ではないので、お葬式専門の業者の斎場で、全てやるようになってきました。 お葬式の段取りもみんな、お料理もみんな業者さんが用意してくれます。ラクではあるけれど、なんか、味気ないような気がしてしまいました。 通夜の翌日に告別式、火葬場に行く時も業者の人がついてきて、アレもコレも面倒見てくれます。そのあとまた、斎場に戻って、地下の会食室で、初七日もやってしまいます。 この二日間でお経を聞くこと三回。ちょっとげんなりしてきます。 なんかね。ほんとにすごく形骸化してきてますね。毎度のことながら。 業者の係りの人がまるで、ツアーコンダクターのようにみえました。 旅行業者とほぼ同じ。 とっても、きれいなお姉さんがきびきびと働いていて、その姿は美しかったのですけど。 家に帰ってみて、なんだか味気なかった気がしました。私自身が年のせいでもう何度かのお葬式にでてきたせいで、なれちゃったのでしょうか。 それでも、父の時は、家で納棺もしたし、一晩お線香をつけてみていたり、もう少しなんかこうあったのですが。 今回のお葬式は、女性のだから、来る人も少なかったし、なんか味気なかったし、さびしかった。 お葬式ってお金かかるし、自分の時もこんなお金のかかることやるのはいやだなっと、いつも思い出します。白洲次郎のように、「戒名不用」なんていえるほどの勇気もないし。 でも、二日間で三回もお経ってもうさすがにいやだと、思った。 年をとると、お葬式でる階数もふえるし、いやにならないのかな。 私の時は、休日に一回だけ、みんなでお食事して、お線香上げておしまいとか、簡単にならないものかなとか、つくづく考えてしまいました。 まあ、自分の死んだ後まで心配してもはじまらないけどねえ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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