テーマ:社会のあり方を考える(116)
カテゴリ:社会系エッセイ
先日、区の講習会に参加した。視覚障害の人のためにパソコンによる音声図書の編集ボランティアをするための技術の習得のためのものだ。わたしにもこれくらいのポランティアならできるかなぁと、とりあえず、参加してみた。講習の後、希望者はそのまま、その講習会を主催したボランティア団体にはいって、本の修正に参加することになる。 しかし、参加してみて、これはちょっとやってらんないなあとも思った。技術自体はたいしたことは、ない。はじめは、てまどっても、たぶん、やっていればそこそこなれて、できるようになると思う。ただ、コレをやるには、お金がかかる。ボランティアなんだけど、あまりにも、持ち出しが多い。ただでさえ、労働力を無償提供するのに、それだけじゃなくて、ボランティアとして、編集をしていくためには、自分のパソコンを使うのはまだしも、編集したデータの保存には、フラッシュメモリーや、外付けHDDなども、自腹で買わなくちゃならないし、本一冊でも、膨大な量のデータをそのつど保存し続けていかなくてはならない。その保存のための自分もちの費用がばかにならない。まして、自分の持っているパソコンといっても、コレだけの仕事をしつづけていけば、やっぱり、パソコンも磨耗するわけで、壊れても、当然自腹で、修理。自分のパソコンを使ってきがるにポランティアなんて感じはしない。 ただでさえ、家計の厳しい状況で、こんなことやってられない。 しかも、編集したCDは、特定の機械でなければ再生できない上に、その機械は日本では、1社しか作っていない。その機械も高価で気楽に買える代物でもない。ケイタイやIPODのようにいろんな機能があるわけでもない。結局、使う側は自己負担でいくらか払って、図書館からその機械を借りるしかないらしい。そうしないと、音声図書を聞くことはできない。 リスク高すぎる気がする。 もしその、一つしかない会社がつぶれたら、または、その機械の製造を採算がとれないという理由で、やめてしまったら、どうするのだろう。その機械でしか再生できないものを区の予算をかけて、今までの、テープのものを全て、この先CD化していくのは、リスクがあるきがするのだけど、どうするのだろう。しかも、その作業は、細かい経費は、自腹をきってやっているボランティア団体まかせというのは、どうもよくわからない。 これまでのテープなら、多少の不便はあっても、そこらの電気屋で売っている安いテープレコーダーなどの再生機で十分使えたのに、限定された機械でしか使えないCDにすべて入れ替えてしまうなんて、本当にそんなことしていいのか、すこぶる疑問だった。講習の場で、意見したほうがよかったのだろうか。 世界的には、認められているものらしいけれど、これほど技術革新の激しい時代に、この狭い中でしか使えないものにしてしまっていいのだろうか。 さらに、ボランティアに頼むなら、少なくとも、それにかかる経費を区は援助するべきだろう。たとえ、援助したとしても、民間企業に頼むより、はるかに安くて済むはずだ。 今回の件にかかわらず、ずっとまえから、ボランティアが、無償とはいえ、そのためには、ボランティアをする側は、どうしても、自分のお金を多少使わなければできないことは、言われていてことだ。 その場所に行くまでの、交通費や、食事や、テキスト、必要なものの購入などなど。いままでは、お金持ちの有閑マダムなどが、やっていたので、たとえ、持ち出しになってしまっても、気にならなかったのかも知れない。 でも、これから、ごくごく普通の収入のごくごく普通の人たちがたくさん、ボランティアに参加していく時代になっていくのだとしたら、行政は、そのためにかかる経費くらいは、援助するなり、補助するなり、予算に組むなり、それなりの対応をしていくべものなんじゃないのかと、思う。それでも、ボランティアであれば、労働だけは、無償で供与されのだし、そういうこと、もっと、なんとかしてほしいなぁっと、つくづく思ったのでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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