カテゴリ:外国映画 さ行
物語はシャッターアイランドとよばれる、俗世とは隔離された、精神病院のある島。 主人公テディは、連邦保安官として、行方不明となった、女性を探すためにやってくる。 ミステリアスな展開の果てに、真実がだんだんと明らかになっていく。 真実は、うつ病となって、我が子を殺した妻、その妻をころした主人公。の物語なのだったのだ。 テディは、そのあたりの過酷な現実故に、妄想の虜となり、精神病患者としてこの島に隔離されていたのだった。 精神医たちは、何度か彼を治療し、彼が逃げている現実へと引き戻すのだけれど、現実のつらさのあまり、何度ひきもどしてもまた、妄想の中に戻ってしまう。 そして、なんども連れ戻される辛さ故に最後にはもう、ロボトミー手術という、辛い現実から完全に隔離されるという選択肢を主人公は選ぶのだ。 実際なんども妄想に戻ってしまうということは、本人がそれを望んでいるからであって、それにもかかわらず、治療して、現実を認識させることこそが正しいと信じている医療スタッフがわ。主治医といい、院長といい。 お医者さんて、患者が望んでいることより、医療的に、あるいは、社会的に正しいと言われる対応、つまりは、治療をするけれど、必ずしも、患者側は、それを望んでいるとは、かぎらないんじゃないかと、私も往々にして、思うことがあるけれど、この物語の場合なんか、まさにその、極端な、ケース。 物語は、ばらばらだったジグソーパズルが、ひとつひとつ組み合わさって、完成された絵になっていくような感じだった。 そして実は、主人公が最後に漏らす一言こそが、その最後の一ピースだったりする。 「モンスターとして、生きるのか、善人として死ぬのか。」 まるで、シェイクスピアの戯曲の主人公ハムレットのように、最後の一言がぴたっと、ハメられた時、物語は完成するのだ。 自分をモンスターと呼ぶほどの辛い現実。 現実と妄想の間をなんどもゆききする主人公。 本当にどっちがいいと、いえますかと、作者は問う。 あなたなら、どちらを選びますか。 妄想に走りたいほどの厳しい現実を、なんで一一もどそうとするのか。あの院長さん。何度、現実に戻しても、妄想の中に戻ってしまうのだとしたら、それはもうほんとに、自分の現実がいやでいやでしょうがないからなんだろうと、思います。だとしたら、現実にもどすという精神医の行為は、ホントは正しくないのかもしれません。 妄想の中に置いといてあげたほうがいいのかもね。 それなのに、なんども、現実に戻されてしまう苦痛、にもかかわらず、自殺も、死刑もありえないのだとしたら、主人公としては、最後には、脳手術によって、その辛い現実を永遠に忘却するしかないのかもしれません。たとえ、それによって、自己や自我が失われてしまうとしても。 現実から逃げ、シャッターをおろして、妄想の世界にと逃げていく、あるいは、ロボトミー手術によって、完全にシャッターをおろしてしまう、結末。タイトルは、まさにそういうことだったのですね。 ああ、生きてくってしんどい。 私も、妄想に逃げたいなーっと思う、今日この頃。 それにしても、分かりにくい映画でした。 ディカプリオって、不思議な俳優さんです。あいかわらず。 そして、なんか、ゲームしてるような雰囲気のの映画でした。 ストーリー自体は、よくあるお話です。 ただね。ラストの数シーンにえがかれている場面によって、今までのこの手の物語とは、ちっょと違った、テーマを語っているのかもしれません。 それをどう読み解くか、解釈するかは、本当に人それぞれ。 ただ、私には、辛い現実は、うけいれうるものなのか、 逃げてもいいものなのか。 現実って、厳しい。 そして、生きていくって。しんどい。 ただ、主人公は、最初の妻のうつ病っていう段階で、現実逃避せずに、立ち向かっていれば、あそこまで悲惨なことには、ならなかったのでは。 対処はお早めに。 風邪もひきはじめが大事に。
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最終更新日
2019年03月11日 08時15分28秒
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