カテゴリ:読書ノート
愛に出合ことはできる。
けれど、愛を続けることは難しい。 科学的には、人間の恋愛感情が続くのは、3年なのだそうだ。 人を好きになるのは簡単だけれど、その感情を維持するのはとても難しい というか、 そもそも続くものではないのだということだ。 けれど、今の時代、結婚は恋愛による出会いによってするものであって、 愛がなくなっても結婚生活を続けることはいけないのではないかと、 そんな考え方にもなりうる。 愛のないままの結婚生活に罪悪感すら持ってしまうのだ。 恋愛の成就するまでの物語は多いけれど、 恋愛感情をどう維持していくかという物語は少ない。 昔は、女性には職業なんてないから、 生きていくためには結婚するしかなかった。 結婚式の当日まで、相手の顔を知らないなんてことも普通だったらしい。 それは、愛のためのものではなく、 生きていくための手段であり、 社会を維持していくための重要なシステムだったからだ。 けれど、近代にいたっって、だんだん見合いのようなシステムは減少していき、 当事者同士の合意、 恋愛を経過してのちの結婚が、社会の当たり前になった時、 3年しか続かない恋愛感情ののすぎたその先に、 なお結婚生活を続けていっていいのだろうか。と、そんな罪悪感すら起きる。 結婚後も、愛する感情を持ち続けていけるのか。 そんなことに迷うようになってしまったのだろうか。 でも、結婚の先に恋愛感情がなくなったっていいんですよ。 それは普通のことだから。 それでも、多くの夫婦が夫婦であり続けるのは、 長い年月の間に作られている阿吽の呼吸に似た、相互理解があるから。 一緒にいることが自然なことになるから。 けれど若い人たちはまだそんなことはわからない。 愛を続ける方法なんて誰も教えてくれないし、 ほとんどの小説だって愛の成就までしか書いてない。 だから迷う。わからなくなる。 自分たちの成長後に別れてしまった両親をもつ主人公の藤代は、 だから、愛を続けるすべが分からない。 ヒロインの弥生は、愛を続けるために必死に努力するにもかかわらず、 相手の男はそれに気づかないか、面倒くさくて気づかないふりをするか、 続ける努力をしなければいけないこと自体をしらない。 かつての彼女ハルとの愛にも続ける努力をしなかったまま、 憎むことすらないままに、別れてしまった藤代は、 弥生との関係を進めることすらできない。 どうすれば愛を続けていくことができるのか。 それは、私たちがこれから、 ひとりひとりがそれなりの覚悟を持って みつけていかなければならない人生の大事な課題なんだと思う。 ラスト、藤代は、愛を続けていく努力をすることを覚悟をする。 愛の先にあるもの。 夫婦だからこそ到達できるその先に。 サイモンとガーファンクルの有名な曲名をタイトルにした著者久々の作品。 物語の中には、ウユニ塩湖や、インドのカニャークマリの朝日などが出てくるので、 映像化したら、美しい作品でもある。 ◆◆四月になれば彼女は / 川村元気/著 / 文藝春秋 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年02月09日 17時00分04秒
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