カテゴリ:読書ノート
読解力のある人なんて、いろいろなブログを読んでいても、ほとんどいない。
ほとんどはよくわからないまま、なんとか感想をひねり出して書いている場合が多い。 私も、読んだ本全部の感想までは、さすがに、記事に挙げることはできない。 ちゃんと解釈できないことも多いからだ。 それにしても、この本の読解についての説明には驚かされた。 普段何気なく読んでいる簡単な文章さえ、ここまで読み解くことが可能なのか。 こんなところから、読みときは始まるのか。 読んでいてつくづく、日本の国語教育はひどいなと思った。 私自身、何年間も学校に通い、国語の授業を受けたにも関わらず、 まともな国語の授業は受けていないなとつくづく思う。 私が今までに見聞きした中では、有名な難関私立の灘や、麻布の国語が素晴らしそうだし、 そして、娘の小学校の時の担任の先生の国語の授業が素晴らしかった。 文章の一字一字、言葉の一つ一つを細かく解釈していく授業。 授業参観で見ていたが、壮絶だった。 こんなことをやっていくとさすがに、この本のような読解力が付くと思うが、 ほとんど国語の先生たちはこんなことはやってくれない。 本の音読、漢字の書き取り以外に何をしていたのか、 まるで思い出せない。 私も息子の中学受験に絡んでの勉強と、娘の国語の先生の授業の様子と、学校での読み語りを通して、やっと少しだけ、読解力が付いたかもしれないと思う。 国語というのは、日本語の勉強だけではない。 文章の正しい理解と、正しく伝わるような文章の書き方、ヒトの心の読み方を習う。はず。 こんな大事なことが、きちんと教育されていないから、 今どきのネット社会で、SNS、ライン、メールなどを通しての言葉のやり取りが、未熟な文章力のまま、行き違いや誤解を生んで、仲たがいや、喧嘩、ひいては、いじめなどのトラブルになるとも思える。 大学には、文学部があんなたくさんにあるのに、ほとんど役に立たない学部扱い。 本当は、文章も文学もとても大切なことなのに。 それにしても、この本の中で、いちばんドキッとさせられたのが、 善意の無難な解釈や表現による「わかったつもり」を演じてしまうというところ。 説明された何パターンもの「わかったつもり」の中でも、いちばんドキッとさせられた。 書く方は、善意の表現だから、何とかこれでごまかせたし、文としてカタがついたと思ってしまうし、ブログを書く時によく使っている手段でもあるので、 本当にドキッとさせられたのだ。やばい。 このあたり、今後気を付けたいけれど、 又、使ってしまうかもしれない。 ブログや、書評を書くならぜひ一読しておきたい一冊だと思う。 わかったつもり 読解力がつかない本当の原因 (光文社新書) [ 西林克彦 ] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年02月09日 16時58分59秒
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