カテゴリ:読書ノート
日本人は無宗教と言われているし、大概の人はそう思っているだろうと思う。 けれど、本当に宗教は、必要ないのだろうか。 どんなに頑張っても、努力しても、どうにもならないことが人生にはたくさんあるし、 つらいこと、不安なこと、心の不安定がどうにもならないこともある。 そんな時に、無意識に神様に祈っていることってないだろうか。 日本には、神道と、仏教の二つの宗教がちゃんとあって、 神社にお参りに行ったり、お寺にお参りに行ったり、 お宮参りや七五三や、 お葬式や法事がある。 ちゃんと生活の中に普通に宗教はある。 2000年以上の日本の歴史の中で、連綿と続いてきた二つの宗教が、なぜ今こんなに薄いものになってきてしまったのだろうか。かつての日本では、信仰は、もっとずっと濃かったのではないかと思う。 それは、明治維新による、神仏分離、廃仏毀釈などの政治的な理由と、科学の発展により、目に見えないものを否定する価値観によるのだろうかと、私なりに考えてみる。 日本の中にある新興宗教って、迷惑だなと思う。日本にきちんとした宗教がないからなのではと思う。 新興宗教ってはいってる本人たちはいいけれど、周りは大概やめてほしいと思っている。 お布施も高い。 もし、日本の中で本来の宗教がきちんとした存在感を持っていれば、 不安な時、新興宗教に流れなくてもすむのではと思う。 今、神社がすごくブームで、特に御朱印集めが流行っている。 そんな形で、神道が、広がって、普及して、個人の宗教が普及していったらいいのにと思う。 団体としての宗教には、どうしても、『集団の中での組織化、組織の防衛という問題や、世俗的なものがからんでしまうというジレンマがある』と、河合隼雄氏が『ユング心理学と仏教』で書いている。 だからこそ、個人として宗教にかかわっていくということである。 それはまさに日本の環境でこそできる宗教とのかかわり方なのではないかと思う。 キリスト教社会や、イスラム教社会では、宗教に入らないだけで、変人扱いされてしまうほど、 ある意味宗教を信仰することに対して、社会圧がかかってしまうのだという。 そんな個人としての宗教のあり方を指南してくれるのが、まさに桜井識子の数々の著作なのである。 特定の集団に入ることなく、高いお布施を払うことも、集団の論理を強制されることもなく、 もっとずっと自由に自信の感性で、神や仏とかかわっていく。 その方法論や、見えない世界の話を数々語ってくれる著書なのである。 集団にかかわらず、神社やお寺に個人で通う時、たった一人で孤独に信仰を深めていこうとする時、個としての宗教を支えてくれる本であると思う。 現在、桜井識子さんの著作は、16冊あって、私もまだ、読み切ってはいない。 本書はその数々の著作の第一作目なのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年02月03日 11時11分29秒
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