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カテゴリ:社会・ニュース
昨日の勝間和代さんについての記事への反応とか、書いた後に別の記事を読んでいてちょっと思ったこと。勝間さんの経済についての提言はよくわからないけど、人間関係の構築の仕方はあまりうまくないなぁと。これは以前から思っていて、要するに私の勝間さんに対する違和感というのは経済関係の提言の内容よりも、生き方というか自己啓発の内容についてなんでしょうね。
勝間さんに限ったことではないのですが、ネットで、著名人がご自身についての記事を探してそれをご自身で転載したりリンクをしたり…っていうことをしている方がいらっしゃるようです。検索すれば簡単に見つかりますから、批判でも賞賛でも、公開している文章はご本人に読まれてる可能性はあります。 私はこういう文章は新聞の書評欄のようなものだと思っていて、批判でも賞賛でもなるべく客観的に思ったことを書きたいなと思うのですが、ご本人から直接コメントなどいただく可能性を思うと自然とまろやかな内容になってしまいます。直接の知人の公の活動(著作や展覧会についてなど)について書く場合にも、知人との関係を壊すような内容は書けません。 一番、正直に書きやすいのは、まったく関係ない方について。まぁ、私自身が芸能活動をしているわけでも作家活動をしているわけでもないですし、今後も著名人に会う機会はないと想定して、ほとんどの本の作者については好きなことが書けるわけです。逆に考えれば著者にとって、ネットっていうのは、こういうまったく関係のない一般人(著者や出版社から見ると末端の消費者)の書評(評価)を読める絶好のツールだと思うんですよね。書評は読まないという作家さんもいますから、ご本人が読むか読まないかは別として。 心を打たれた本について書いた記事に、ご本人がコメントしてくれたら嬉しいということもありますが、自分の著作を批判している記事にわざわざ(嫌みったらしく)コメントするような行為はみっともないなぁと思うのです。(もちろん、内容、書き方によります。真摯に受け止め改善したいと思います、というような書き方だったら、好感度アップするかも) 匿名での批判やいわれもない誹謗中傷については無視していいと思うんですが、真摯に批判している人、別の考え方を提示している人たちの意見は貴重です。本人が読むか読まないかは別として、そういうものがまったく表に出てこない状態というのも異常です。いろんな考えの人が自由に意見を言えるのがネットの良さだと思います。 自分に不利な記事はなるべく潰しておきたい、と思ってその記事を書いた人自身の考えを変えさせようと働きかける、そういうことを続けていると段々批判記事は減っていくでしょう。だって書く側としたらいちいち対応するのが面倒だもの。 でもそれって本人にとっていいことなんでしょうか。ネットの中だけじゃなくて、現実世界でもそれをやっているとしたら、決していいことではないのではないかとも思ってしまいます。 苦言を呈する人や批判的なことを言う人たちを遠ざけて、自分の信奉者ばかりを周りにはべらせて…。批判に耳を傾けないと、どんどん人が離れていって自然とゴキゲン取りの人しか残りませんよね。 こういうの、故事を引けばいろいろあるんでしょうけど、いま思いつきません。君主論とかかな。名君ほど、自分に率直な批判を言ってくれる人を側近に選ぶのではないかと。 会社でもコミュニティでも、自分が中心になって一つの集団の方向性を決める場合には絶対に逆の意見の人を大切にすべきだと思うのです。直接言いにくいことを言ってくれる人というのはとても貴重。自分では気付かなかった問題点に気付かせてくれます。 そして、その集団に属する人たちを管理しすぎてはいけないと思うのです。会社で言うと給湯室とか喫煙室とか談話室とか…陰口や愚痴を言える場所を確保しておくべき。飲み会などは、上司と部下が率直に意見交換できる機会でもあるだろうけれど、あまり毎回毎回上司が参加すると言いたいことが言えません。お金だけ出してさっさと帰る上司が好きだなぁ、私は。…って会社勤めしたことないけど。 効率化っていうことで飲み会などをなくしたり宴会部長的なムードメーカー(←仕事はできない)がリストラされてしまったり…っていうのは実は会社にとってはマイナスかもしれません。飲み会で人間関係が円滑になって会社の雰囲気が良くなれば仕事もうまく回ることだってあるでしょう。仕事をしないムードメーカーがいなくなることで、人間関係が気まずくなることもあるでしょう。一見、無駄と思えたことが実は大事なのかも。 うろ覚えなんですが、働きアリの集団で、全体の2割(だったかな?)くらいはあんまり働かないらしくて、実験で、その2割の働かないアリを集団から排除してみたんだそうです。そうしたら、残りのアリたちのうちの2割が怠けだして働かなくなってしまったんだそうです。 結局、集団の中で必要ないと思う人を排除しても、その空いたスペースに別の人が入るだけで変わらないのではないかと。逆に、バリバリ働く人がいなくなったとしても、いままで働かなかった人がその穴埋めを意外としっかりしてくれたりするものなんではないかと。 夜があるから昼の太陽のありがたみがわかるし、日向があるから日影の涼しさが心地よく感じられる。人生も仕事も余白の部分が大切なんじゃないかと思います。ずっと昼間だったら疲れちゃう。職場の全員がバリバリ働く人だったらほんと、疲れそうです。夜の宴会部長も混ざってていいんじゃない? 最近、ビジネス書でもダメな部下の育て方とか付き合いにくい上司とうまく付き合う方法とかって本がたくさん出ているから、こういうことは書いてあるのかもしれません。 最近の戦国武将ブームっていうのも、大名と家臣との関係などに学ぶところが多いからなのではないかと思うことがあります。 耳は大きく、口は小さく、片目はつぶって…っていうのもありますよね。人の言うことは良く聞いて、自分のことはあまり大きな声で話さないで(私が、私が、と言わないで)、多少のことは見て見ぬ振りをするのが良い上司(経営者だったかな)。 ともかく、人間関係っていうのはいろんな人がいて成り立っているものだから、反りが合わない人や嫌いな人、能力のないと思える人でも、不要な人間というのはいないのだと思うと、ひとりひとりが愛おしく思えてくるものです。そしてそう思っている人の周りには自然と豊かな人間関係ができあがるのではないのかなと思うのでした。 偉そうに書きましたが、私自身はまだまだ修行が足りないので豊かな人間関係が築けているのかどうかわかりません。でもいつも私に助言を与えてくれる、とてもいい人たちに巡り会えていると思います。みなさんありがとう。 ↑いろいろ出てますが、過去に読んで面白かった本たち。 過去に書いたレビュー(日々のほのぼの) ■不機嫌な職場 ■社長のためのマキアヴェリ入門 ■わからず屋さんの取扱説明書 ■松下幸之助 運をひらく言葉 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Nov 11, 2009 06:43:27 AM
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