|
テーマ:生き方上手(688)
カテゴリ:社会・ニュース
うちの両親(60代半ば)とチワワの小太郎(9歳)はシニア世代。まだ小太郎はシニアの入口ですが、そのうち両親を追い抜きます。私もアラフォーで半病人ですから、若さとか活気とか、そういうもののない家庭です。。。
両親も私も、自分の祖父母と同居したことがありません。つまり高齢者と同居した経験がない。なので、「老い」というものは未知の世界です。知識や情報として知っていることはあっても、実感として「老い」の生活というものがどういうものなのか、よくわかってません。 両親は、本人たちがそういうことを意識しているかどうかわかりませんが(たぶんなにも考えてないと思うけど)、細かいところで「ああ、年を取ったなぁ」と思うことが多いです。家族以外の人から見れば、年の割には持病もなくて車運転してどこにでも行くし半病人の私よりもよっぽど元気なんですが、日常生活では「老化現象だから仕方ないねぇ」ということが多くなってきました。 母は手の指の関節が腫れて固まってます(ヘバーデン結節というらしいです)。なので、瓶などのフタが開けづらかったり、小さいボタンが押せなかったりします。 もともと近視だったのですが、矯正手術(ついでに白内障手術)して眼鏡が不要になるかと思いきや、近くが見えない(遠くをよく見えるような視力に調整したため)ので結局、必要に応じてメガネを使ってます。買い物のときに商品のラベルが見えないのでたまに変なモノを買って来たりします。普通は料理や掃除するときにも困ると思うのですが、母はもともと適当にやっていたらしく、家事には困ってないらしいです(ホコリが残っていてもスルー)。 目の手術と関係あるのかわかりませんが、グレー地に黒字の液晶表示は見にくいようです。これは、もともと視力がいい父もそうみたい。コントラストを認識しづらくなるのかな。なので、電気ポットやパン焼き器(ホームベーカリー)の液晶表示が見えず、予約の設定などは私がやってます。電気ポットは、内部の水位の線も見えないみたいで、適当に水入れてます。 老化が如実に表れるのが、車の運転。もともと安全運転の父は、反射神経が衰えてきたようで、急に進路変更したり黄色信号でスピードをあげて通過したりってことが増えました。本人は変わってないと思ってるようなのですが、乗ってるほうはちょっと怖いです。急な変化への対応能力が落ちてるような気がします。 もともと車間距離の狭い母は、ますます荒っぽくなってます。「うわ、ぶつかる!?」って思ったことが何度も。「前の車が急に止まったから」って、それも予測して車間距離を取りましょうよ。後ろの車にぶつけられるよ。 なんかもう、怖いので、将来的には車がなくても生活できるような場所に引っ越したいものです。私も免許は持っているけどペーパードライバー。もともと運転センスがないのに加えて今は薬の影響で視界が狭く反射神経も運動神経も低いです。 生活していく上での「老い」って、一緒に暮らしてないとなかなか実感としてはわからないだろうなと思いました。我が家には子どもがいないですが、子どもの生態っていうのは、それぞれが一度は自分の子ども時代を経験しているわけで、なんとなくわかるような気がします(実際はその子どもによっていろいろではあると思うけど)。 だけど、「老い」っていうのは、未知の世界。いままで、当たり前に出来ていたことが、できなくなるのが「老い」なのかなと感じます。「なんでそんなことができないの」って思うんですが、できないんですよね。私自身は自分の病気でそれを体験して、ショックを受けました。ペットボトルのフタが開けられなかったり、ちょっとした段差が障害になったり、駅のエスカレーターで横を猛スピードで歩いてのぼる人が怖かったり。 なんかモタモタしていたり、もっと効率的な方法があるのになぁと思ったり、パソコン使えば簡単だよって思ったりすることもあるんですが、身体的にできないとか、従来のやり方を変えられないとか、新しいことを覚えられないとか、「老い」には「老い」の事情があります。 高齢者に限らないですが、自分にできるんだからできるだろう、って考えでものを言ってはいけないなぁとつくづく思います。その人にはその人の事情、やり方、生き方があるのです。 高齢者と同居すると自然とそういう物の見方が身につくのかなとも思います。よく、おばあちゃんの知恵、なんて言うけれど、そういう「言葉で伝えられるもの」ももちろん大事だけど、一緒に生活することで生き様を知るということが、大きな糧になるのではないかな。祖父母と暮らしている友人たちを見ていると、ある種の寛容さを身につけている人が多いなぁと思います。そしてそれは、私から見たらなんだか羨ましいものでした。 子育てで学ぶことも多いけれど、高齢者との同居で学ぶことも多いです。多世代で暮らすっていうのは自然なことだと思うし、それが寛容な社会に繋がっていくんじゃないかなとも思うのでした。 で、何が言いたかったかというと、電気ポットやホームベーカリーなどの電化製品の液晶画面も、もっと見やすくして欲しいという話。誰にでも優しい、ユニバーサルデザインです。高齢者に使いやすいものは誰にでも使いやすいはず。 同様に、高齢者が暮らしやすい街は誰にでも暮らしやすいはず。高齢者の生活を知って、もっと暮らしやすい街になると嬉しいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Feb 22, 2012 10:15:54 AM
[社会・ニュース] カテゴリの最新記事
|