プラダを着た悪魔 から考えたこと
お盆休み。10年ぶりにプラダを着た悪魔を観た。面白かった。尖がったすごいおしゃれにまでは興味がなかったアンハサウェイが鬼上司の下で、ひたむきに働くことで、上司のみに好かれるがプライベートは犠牲になるし、彼氏は疎遠になるし変なおとことは仲良くなる。そして、すべてを犠牲にして得た上司からの好感が上司からみると自分の出世欲を満たすためのものと見えていると知った時自分が誤っていたと気づく。そして元の自分の世界に帰る。ここで帰れるのがすごいところだよね。自分は捨てきれなかったから今の人生がある。出世したところで、上司の機嫌を損ねればたちまちなくなってしまう今の立場。そんなものを守るために生きている訳ではないのだが。。けど捨てられない。なぜか。今まで約18年の努力の上に今の立場があるように思えるからだ。。全てを仕事に捧げて生きているのは私だけではなく、努力でのし上がったしかし自分の資本を使っていない者たちは、非常に薄い氷の上で必死に働いているのと同じ。アンハサウェイの上司でさえ、資本をもつものからすればコマの1つでしかない。上司は裏できちんと経営者に根回しをするシーンもあった。資本を持たずに努力しても結局そういうことになってしまう。そういう組織が多いんだろうな。。