野性サルの群れに遭遇!
白髭神社と書かれているのになんで?日向(ひなた)神社は、8世紀に日向薬師を開いた行基に、協力を惜しまなかった渡来人、「高麗若光」を讃えて創建され、長い間、白髭神社としてしられ 【新編相模国風土記稿、皇國地誌】などに記載されている古い社です日向薬師とは違いますのでご注意呼び方が「日向神社」に変わったのは昭和8年で、国が全国の神社の資格を調べて整理、無資格社を村社として格上げし、村から祭祀料を出す制度にしたことによるものだそうです。明治維新以来、国家としての統一感を促進する背景も影響し、やがては過酷な戦争を招く、国家神道強化につながることに。日向の周辺に住む人は、何らかのつながりでその地域の産土神社の氏子になるのが、一般論になります。洗水の人は諏訪神社に、新田では飯綱神社というように。さらに、大きな地域を守る鎮守の神(日向神社)との関係も生まれていきます。現在では信仰の自由が尊重されていますから氏子を強制することはありませんが、日常生活や季節に応じて行われる神事(お祭り)に自然と対応することになります。白髭神社(日向神社)ここに一頭(一匹?)の野性ザルいましたが、近寄ったら逃げられてしまいました。そこから日向薬師に向かう途中、サルの大群に遭遇(車内から写す)。今度は集団で、威嚇するように道をふさがれる。車を走らせるとチビザルは藪の中に消えましたが、ボスザルなのか最後まで威嚇。この辺りは無人の野菜の直売所があちらこちらにあり、それを狙っているのかも。この付近の畑には今までになかった電気柵があちらこちらに設置されるようになりました。困ったものですね。こちらが唯一残った「日向薬師宝城坊」日向薬師は奈良時代初頭の霊亀2年(西暦716年)に、僧行基により開山されました。 僧行基が熊野を旅していた際、薬師如来のお告げにより、相模国のこの地(現在の神奈川県伊勢原市)に、 日向山 霊山寺(ひなたさん りょうぜんじ)を開山した、と伝えられています。現存するのは「日向薬師宝城坊」のみですが、江戸末期には13坊あったと言われ、日本三大薬師の1つとも言われたことも。明治初期の神仏別離令、廃物棄釈によって消滅したか?宝城坊は国の需要文化財で、平成の大修理(5年間)がようやく終わり、2016年の末に落慶。屋根は茅葺鎌倉時代には、源頼朝、北条政子も参詣しています。