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カテゴリ:中国留学の思い出
旅行自体は楽しかったけれど
初めての中国の印象は散々でした。 中国語の勉強は続けるにしても、正直 「もう中国へは行かなくていい。」と思いました。が、 ある日仕事中、会社の窓から 外を若い女性が歩いているのを見てふと思ったのは 今、突然あの人に声をかけてこの部署に連れてきたとしても、私と大差ない働きができるんだろうな… 誰にでも出来る単純な仕事の自分の将来が不安になって 何か特技を身につけないと…中国語をがんばろう、留学しよう!。 願書を提出しました。 留学先の都市を選んだ理由の一つは 当時の住所地と姉妹都市関係だったから ですが、もう一つは事務局の人に 「宿舎がバストイレ付で快適だよ。」 (当時の留学生宿舎ではあまりなかったタイプ) と勧誘されたから。 天安門事件(1989年)からそれほどたっておらず 志願者数は多くなくても、留学先の希望が 有名な都市ばかりに集中してしまっていて、 事務局の方は振り分けるのに苦労されていたみたいです。 姉妹都市関係だった点で特に優遇はありませんでしたが、 一応、地元出身者ということで 出発前に市長さんにお会いして 写真撮影を行い、 市章の印刷された旗を受け取りました。 現在は合併で市の名前はなくなってしまい、 それで旗はよけいに大事にとってあります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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