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カテゴリ:中国留学の思い出
「昆明ははまる」と言われていました。
鉄路では行き止まりの終点で、 雲南省内の石林や大理などへ行く拠点でもあります。 そのころはまだ中国から東南アジア方面へ抜け出る発想はあまり無く、 (日本からだと中国よりそちら~行き先にもよりますが~へ旅行する方がお手軽だったからかもしれません。ある留学生が「今度の休みはタイやマレーシアに行く」というのを聞いて、「中国に来ているのに何でわざわざ違う国に行くのだろう?」と思った記憶があります。) 昆明に来たら引き返すのがほとんどでした。 みんな出る方向が同じだからか切符の入手は すぐ(当時の中国のすぐは、2,3日後という意味です。・笑)には無理で、 最低1週間は見ておいた方が無難でした。 その間に省内の見どころを回ればいいわけですが、 西双版納など「秘境」(今はどうなんでしょう?)に行くとなると 陸路(バス)で片道2泊3日だか3泊4日、 空路は速い代わりに便が毎日あるわけでなく、 思うように切符が入手できなかったりと さらに滞在日数が増える傾向にありました。 旅行者は一定の地域の似たり寄ったりの行き先を ぐるぐるまわっていることになり、 初めて会った相手でも話が合ったり、 別の場所で同じ人にまた会ったなんてこともありました。 ホテル・茶花賓館のドミトリーは、開放的な広い部屋に ツインルームに置くちゃんとした(学校の寮にあった、中国ではたいていこれ、なものではなく) ベッドが10何台も並んでいました。 隣になった女性は他大学の日本人留学生で、 石林へ行って帰ってきたところとのこと。 翌日行こうと思っていた先なので、 どんなところだったか感想を聞いたら 「う~ん、サニちゃんとジョイフルランド、って感じ。」 土産物売りやガイドの売り込みをする、 少数民族のサニ族に付きまとわれるらしいですが どうなるんだろ??? 明日になればわかるでしょう。 それより Jちゃんと思い出したのは、寮に置いて来たアメリカ人男性Fのことです。 列車の切符は持っていたはずだから追いかけてくるかもしれません。 ホテルの伝言コーナーに、 私たちがここに泊っている旨の伝言を貼ることにしました。 そこは、世界中からのバックパッカーが連絡に利用しているらしく いろいろな言葉のメモや手紙が、 神社の絵馬のように重なって貼られています。 私たちも書いておきました。 「F小姐へ、ここに泊ってるよ!」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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