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2009年04月18日
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カテゴリ:中国留学の思い出
留学中列車に乗車の際は、

駅で乗車列車ごとの列に並んで現地の皆様とともにドタバタ(笑)が多かったですが、

外国人のため?まれに特別待合室から出発…という時もありました。


ある駅の待合室に、珍しく日本語で書かれた雑誌が置いてありました。

いつ発行されたかも不明なほどの新しくなさで、

若者の興味を引くような内容でもありませんでしたが、

つい日本語が懐かしくなって手に取って見てみると、記事の一つは、

高校生の数学能力を競う世界規模の大会で、中国チームが好成績を収めた話でした。

が、読み進めて唖然としました。


「(チームのメンバーの)A君は、自分でシャワーの温度調整ができないので、

入浴時はお母さんが付いていてやらないとやけどをしてしまうことがある。」

「(同じく)B君は簡単な場所でも方向感覚が分からず、

1人で外出すると迷って戻れなくなってしまうため、

必ず誰かが付き添ってやらなければならない。」


この雑誌の編集者は

どうして高校生にもなってそんなことができない人を褒めたたえているのだろう?

基本的な生活能力より、数学ができる方が大事だと思っているのだろうか?


将来自分が親になったとしたら、数学の能力なんて普通でいいから、

シャワーが一人で浴びられて、年相応に1人で外出できる子になってほしい、

と思いました。


それから20年近くが過ぎて、今は親をやっています。

どうしても自分の子に「人並に」を願ってしまうのは変わりませんが、

雑誌の記事に対する見方は変わりました。

「数学はできるのに○○はできない」と考えるからいけないのであって、

「○○はできない子だけれど、数学の能力は世界一」だったら?

素晴らしい印象になるのでは?

多様性を受け入れるとは、どういうことなのか少し分かった気がします。





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最終更新日  2009年04月18日 07時26分53秒
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