|
カテゴリ:カテゴリ未分類
坂本龍馬暗殺には諸説あるそうです。
こちらの方のブログ→福山雅治の刺客は亀治郎(http://leftalone.cocolognifty.com/blog/2010/10/post-2e37.html) を読んで気になったのは、某テレビドラマとは別の説になるそうですが 『壬生義士伝』(画像は上巻ですが、上・下あります) で採用?されているという、 「左利きの斎藤一が龍馬の前に対座したとき刀をあえて自分の右側に置いて油断させ、 居合い抜きで右側に置いた刀から左手で刀を抜きざま龍馬を一撃した。」 (※上記ブログを参照にまとめました。)との説。 「気になる理由」はもちろん「側」の問題です。 多数派と少数派の左右感覚の違い… 刀を右に置くのは一般的には抜くのに不都合でも斎藤一には当たり前の配置で それと同列に考えてはいけないかもしれないけど 自転車を左側に置くのは一般的には不都合でも私的には当たり前なもので どういう風に描かれているのかな…? と興味を持って早速読んでみました。 新選組関係者が後の時代になってから 吉村貫一郎を回想する形で語っている設定を中心に 書かれています。 大正時代が「今」になっている語り口というか雰囲気からは 自分の祖父母(明治末から大正生まれですべて故人ですが)が連想されて 何とも言えない懐かしさを感じさせてくれました。 ただ「語っている内容」は生死ギリギリのところでの攻防(戦いだけでなく生活も)で 緊張感を持って読み進めますと… 斎藤一の語っている章が出てきました。 …続く… お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年11月30日 23時53分36秒
コメント(0) | コメントを書く |