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カテゴリ:左右の話
…その1より続いてます…
章変わりの冒頭はすべて これから誰の語りが始まるのか説明じみたものは無く 読み進めるうちに分かってきますが、 斎藤一のはすぐにそれだと分かりました。 ただ結局、肝心?の坂本龍馬との一件に関しては 本人の語りの中では直接的な発言は無く、 疑われた人物が弁明するのを聞いている態度で それらしさをにおわせているだけでした。 (「斎藤説」は他の人間の語る章で「推測」として記述されているのが主でした。) ですが、左利きの特徴については 吉村貫一郎とのやりとり他、 彼の個性を強調するかのように数か所で描かれていて、 「推測」の信ぴょう性を後押しする効果があるような印象でした。 武士に左利きはあり得ない通説から 斎藤一左利き説は後の創作とも言われているそうですが、 逆に混乱の時代だったら有りなのかもしれない気もします。 平和な現代に生きる自分と一緒にしてはいけないかもしれませんが (左手で扱うために)右側に竹刀や木刀を控え持つだけで 不調法や礼儀知らず扱いされたが、近藤勇と試衛館の者だけは異を唱えなかった… ことについては ほとんどの場合自分の当たり前の「側」が他人に否定されるのに、 受け入れる人に出会えた点で ちょっと気持ちが分かるような…? (自転車のスタンドを右側につけたいと言うとたいてい変人扱いされるけど、 某ホームセンターのTさんは真面目に話を聞いてくれたので。←軽すぎ?(^_^;)) 「右隣りを歩きながらの抜き打ちで何人も斬った。」は、 内容は物騒ですが、「常識」しか見えていない多数派感覚をあざ笑うかのようで やや気持ちいい感じも…←私って残酷?(^_^;) そして、この本(『壬生義士伝』)で詳細は触れられてはいませんが 彼が後に警視庁や教職に関係した仕事に就いたことは、 刀の「側」に対して同様に興味を感じさせられました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年11月23日 07時35分03秒
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