531217 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

お気に入りブログ

トップバリュのタス… New! そら豆さん

CHINA QUEST*中国に… あこcnさん
陳氏太極拳、と、そ… あんこくじ壱級さん
日本語教師のヨック… ヨックン9901さん

カテゴリ

日記/記事の投稿

フリーページ

キーワードサーチ

▼キーワード検索

ニューストピックス

2016年05月12日
XML
カテゴリ:両使いのたわごと
こちらの記事 → 左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii 第468号「左利きで生きる方法(18)」
を読んで思うことを勝手に書かせていただきます(^_^;)

非利き手使いに対する感覚について
右利き(多数派)と左利き(少数派)の立場での違いです。

『ひま人の暇つぶしか、切実な悩みの解消か』
と書かれている通り
取り組む背景が全く違うので
できたかどうかの結果だけで
両者を同列に扱ってはいけないと思います。

ただ個人的には「使える」「利く」って何だろう?と考えます。

両使いは
非利き側使いが「努力の結果できるようになった」よりも
両側使わないと疲れるから
単に片側への依存度が低いことです。

例えばお皿を洗う際、
スポンジを持つ手が利き手とされると思いますが、
スポンジと同じかそれ以上にお皿を持つ非利き手が動くのが
両使いです。

どちらも動かせる(自然に動く)のですし、
スポンジ扱いぐらいなら
習得に努力を必要な技術と言うほどではありませんから
スポンジとお皿の役割の入れ替えも容易です。

一方、字を書いたり箸を持ったりできるようになるのは
技術習得努力の結果です。

利き手だから使えるのではないし、
使えるから利き手なのでもありません。
利き手の方が能率良く習得できるから
多くの人が自然に利き手を選んで努力をし
できるようになるわけで、
当然非利き手で習得するには余計に時間も労力もかかります。

また足元の小石を拾うなどの単純動作の場合は
つい利き手が伸びることはあっても
利き手でないと拾えない人はいないと思います。

一口に両利きや両使いと言っても
求めるレベルや状況によっては
すでに誰もが両側でできている動作であったり、

人によって
自然にできる作業もあれば
誰もが習得までに努力を要するけど
その感じ方に個人差が生じる作業もあると思います。

すべては
個人の性質(元々両使い傾向があるか)と
作業の難易度と
「努力」をどうとらえるか(達成感を求める挑戦か全くの強制労働か)で
大きく変わってくると思います。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2016年05月13日 01時36分17秒
コメント(0) | コメントを書く
[両使いのたわごと] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X