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カテゴリ:左右の話
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の下記部分↓ 『農業などの集団化政策が進み、全員に同じ動きが求められる中、左利きは邪魔者扱いされたのだ。「排除の論理」である。文豪トルストイや生理学者パブロフら、偉大な功績を残した左利きはロシアにも多いのだが、市井の左利きたちはさぞや肩身の狭い思いをしたことだろう。』 を読んで思ったのは、 集団の全員に同じ動きを求めるなら 字を書く手もその一つにカウントはされると思いますが 農業や工業の生産性重視が目的なら 体全体を使っての作業の方が多くて、 「右手でできるか」の手一本だけの話ではなく 「右手が中心になる体全体の動き=右動作ができるか」が 問題だったのでは? 右乗りもやばいかも…?(^_^;) (※例:生産品をたくさん積んだ自転車的な運搬道具を右側で扱えと言われたら大変!) それと… トルストイやパブロフが どちらの手で字を書いていたのかは知りませんが 「左利き」と知られていて 「偉大な功績を残した」とされているのは 集団の肉体労働ではなく個人の頭脳労働なら 利き側関係なく評価されると言えるわけで… 結局、左右不平等は 物理的・数的(多数決)問題と分かります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年10月04日 13時14分21秒
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