【留学回想録44】続・黄河のすぐ南の暖房設備
~昨日からの続きです~なぜLさん宅がそういう環境だったのか、聞いた話ですが当時は住宅も含めたほとんどすべてのことが国によって管理されていて暖房の大まかな規定が、黄河を基準に北側は「寒い地域」とみなされ充実、南側は「そうでもない」認識で設備に力が入っていなかったとか。街中の大型デパートでは…寒風の中、自転車をこいでやっと到着、店の前に停車するや否やどこからともなく現れる「駐輪料徴収係のおばちゃん」に支払い(0.03元=3分=当時約1円)をしながら寒い~、中に早く入ろう。店内への出入り口を見ると、黒い、体育で使うマットをやや薄くした感じのキルティング風ビニールでふさがれています。本日休業?いや、工事中なのかな?と、一瞬思いましたが、その「厚い幕」をお客らしい人がしなやかでないカーテンをめくるようにして出入りしていました。自分も同じように入るとうわ…中は期待した「ほっとできる温かさ」ではなく、薄暗い中店員のお姉さんたちもまるで冬のスポーツ観戦?な分厚い長いコートを着て並んで立っています。この温度って、人が暖めてるだけってわけ!?また「幕」がめくられて誰かが入ってきたらしく後方からサーっと冷たい空気を感じ、と同時に足元を走る何者かがネズミ!暖をとろうとやってきたのでしょう。寒気の侵入を防ぐ(ネズミの侵入は防げなかったけど)入口の幕は本来の暖簾(のれん)の姿だったようです。※留学生宿舎は「暖気」(お湯が流れるパイプを部屋に通して建物全体を暖める暖房設備)があって、時には暑いぐらいでした。恵まれていました。