HOPI~KAJI~イセヒカリを畑で
2週間ほど前に蒔いた21世紀の稲「イセヒカリ」、畑の土から芽を出しました。小石のごろごろしている、すぎなだらけのこの畑から芽を出した。ライ麦の畝幅やく90cmの間に樫の木の棒で約10cmの溝を掘り、筋蒔きした「イセヒカリ」。芽が出たのでおまじないで、端のすぎなを刈り、掛け布団にして上からかぶせてあげた。是でしばらくはイネ科の雑草を刈って、見守ることにする。このイネ科の雑草、しばらくすると稲に近寄り、そっくりサンに変身する。親戚だから「ぼくも人から大切にされる稲になりたい!」なんて思っているのだろうね。昨日はHOPI族に敬意を表して、ホピの本来のやり方で「イセヒカリ」を蒔いた。やはり木の棒を使いヘルメットをひっくり返したぐらいの穴を掘る。母なる大地への感謝と、畏敬の念を持って、祈りの詩を歌いながら。KAJIの畑は、何も足さない、何も引かない、が基本形。だから雑然としてて、おおよそ畑には見えない。雑草だらけの畑・・でも、諸の人々は心あたたかい。隣のHさんの奥さんも畑を貸してくれた I さんのおじさんも「うちのマルチや籾殻を使っていいよ」なんて温かく見守ってくれる。感謝!***昨今の気になるコメントをリンクします。突沸現象日本でニュースにならないメキシコ湾石油流出事故グアテマラのバカヤ火山***どうも今の文明も目的が反対になっている。本来、自然の恵みに感謝し、分かち合い、その恵をみなで享受するもの。何も足さない、何も引かないで畑が目指すべき循環をする理屈で行けば、自然の摂理に従った、大きな循環が見えてくる。物を交換するときにエネルギーのやり取りがおきる。そこにお金というものが介在している。それは利便性を図った仕組みだ。そこまでは間違っていない。いつのまにか、そのお金を得るために人は働くようになった。・・・ここに一軒のレストランがある。本来あるべき姿は、山の幸,海の幸を収穫する人が摘み取り、手を加える人が波動を送り、近隣の人々とともに分け合い、その恵をみなで享受したのがはじまり。気が付くと金儲けのためのメニューが作られ、金儲けのためのスーパーマーケットに行き、金儲けのためのメニューに併せて材料を調達する。その料理には沢山の怪しげなものが混じり、沢山の金利がついてくる。今もう一度、私たちが試みようとしているのは最初の原点。「低エネルギー地域循環型経済」要は物々交換に由来する本来の姿。そこには金利も搾取も介在しない。皆さんも物を買うとき、少し考えてみてください。この商品はどれくらいの搾取行為が介在しているか。どのくらい地域に還元されていないかを。何が今必要でないか、よく見極めようではありませんか。そして、自分が動く事で隣の人が潤う事を考えてください。自分の作った野菜を近くのみんなと分け合う事。100歩、歩いて料理の上手な人へ届け、その料理人は調理をし,みなを呼び寄せる人が1000歩、歩いてみなに声をかけ、素敵な場所を誰かが提供し、おいしい料理を感謝して、いただく。みんなは、野菜を作った人、料理した人、声をかけた人、場所提供した人に、何がしかのエネルギーをお返しする。それは物であったり、ありがたい言葉であったり、素敵な唄であったり、楽器の奏でる素敵な音色だったり。「愛の循環方程式・・」これは夢物語でしょうか?