春を呼ぶ虹?~夜明けの嵐は~ホピ第3メサ
立科の町へ山から下りたら浅間屋を背景に低い虹が出た春を予感させる虹今は夜明けの時代 夜明けの嵐はただ事でないような気がする世界を取り巻く社会的環境は無秩序の連鎖がはじまり人類はこうやって何度も自らのレベルダウンを強いてきた日本の歴史にはかつて「革命」的なことはなかったという時代の呼び名が変わるごとこの島の人々は何にもなかったかのようにその波をいとも簡単に?(ではないかもしれないけど)乗り越えてゆく****2002年の冬ぼくは新幹線通勤をして軽井沢から新都心にあるJLMCafeへ通勤していたその時に大宮の書店で見つけた一冊の本「ホピ・サバイバルキット」通勤電車の中で5-6回は読み返したろうその驚愕の本の内容にいてもたってもいられずホピ・ランドに旅に出たアリゾナのフェニックスまで飛びレンタカーを借りてひたすら北上すること1000km途中セドナを通り(観光地には目もくれず)メテオクレータを通り過ぎフラッグスタッフからウィンスロウの町へたどり着くここから北上すればナバホの居留地を通り抜けホピの聖地にたどり着くこの道は荒野の一本道・・約100km車を走らすとナバホのあたり道の向こうに大きなダブルレインボウが青い空にかかっていたすると道の傍らにヒッチハイクの青年がいたので彼を乗せることにした彼はホピ族でフェニックスから故郷へ帰る途中だという第一メサに実家があるホピランドは第1・第2・第3メサとあるメサとは高台の意味で彼らにとっては聖地と位置づける彼は身長190cmくらいでオーバーオールを着ている車の中でいくつか会話をした911の翌々年でもあり、アメリカの人々はかなり警戒心を深めている時期でもあった彼は僕が日本から来たことを告げると「悪いことは言わないよ ここに留まればいいよ」ぼくは「なぜ?」と聞くと彼は「ここは守られた土地なのだよ」と彼を第1メサの実家に送り届け僕は第2メサを抜け第3メサに向かったこれがホピランド訪問の最初の光景でしたその後いろいろなことがありましたまた次回にしますが僕は日本に帰りやはりこんなことはしていられないと思い25年働いた会社を辞め畑をはじめて、巡り合ったクリスタルボウルを奏でています****日本にはまだ解決できてない重大な使命がある世界は良い意味でも悪い意味でもすべてが絡み合い、利害関係も複雑に・・一家共倒れではないけど・・運命共同体なのですさぁ何をしようか・・