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カテゴリ:Ascension
ホピの地へ行くことになった数年前に
タオスプエブロ族の地を訪れたことがあった その時に行き会った日本人のカップル 彼はとてもよく知っていた インディアンの文化やそれにまつわる 物事のデティールをとてもよく知っていた 一冊の分厚いインディアンのカルチャー本を見るより 彼は何でも知っていた その話の中で カチナ人形のことにとても興味をひかれた この人形は赤子をあやす日本のこけしに似ている カチナといえばオグルカチナ・・ 今回は細かい説明しないが日本のなまはげの祭りに似ている あるいは西洋のピエロに例えられる一説もある この時からホピのカチナ~カチナ人形にとても興味を持ち ホピの地へ行ったら是非これを見てみようと思った 264号線の一本道にそれぞれもメサが点在する 中心地以外は民家はない荒野の中 カチナを販売しているあるいは彫金のアクセサリーの店を見つけるのは それほど難しくなかった 数十キロの荒野の道のりで片手に数えられる家そういう店だった そこに飾られていたカチナはコンテンポラリーのものから 土着的なものまで数多く展示してあった その中で一番土着的なカチナを手に入れた カチナを手に入れた後 ホピランドの唯一の宿泊野営地にたどり着く 何組かの旅行者もいたなかにはニューヨークから来た家族もいた 息子さんは8歳 家族は中流な感じの・・でもホピの地には似合わない雰囲気 どうしてここに来たのかと尋ねると 911の翌年ということもあってか かなり危機感を感じておられ たどり着いたのがこのホピの地だったという この場所が大切な場所だとわかって それを僕に暗く悲しげな表情で話してくれた 野営地にはこれからこの地を離れていこうとする旅の青年がいた 彼は数メートルの木の棒を1本持っていた テントを張る道具か何かか 彼は数百キロ徒歩で旅をしてここで20日間ほど滞在していたという 自分はテントの用意はなかったので車中泊を覚悟した 幸いそこにはロッジもあったので滞在中何泊かはベッドで休むことができた 滞在していたある日 今でも覚えている 夜の10時ごろ僕はロッジの部屋から忘れ物をした車へ行こうとした その場所は複合施設でホピの博物館もあるところ 駐車場までの数十メートル 施設の屋外トイレを通り過ぎるところ トイレから一人の人物が現れた 彼は片手に金属の棒を持ち 背中に黄色いタンクを背負っていた 僕はちょっと怖くなり挨拶もせずに駐車場へむかった しばらくして客室のドアをノックする誰か 開けるとそこには警官の格好をした自衛警察官が立っていた 警察官は30分ほど前トイレの前あたりで人と遭遇しなかったかと 遭遇したことを伝えると なぜその時にあいさつしなかったかと聞かれた 警察官は僕を不審者だと思ったらしい 笑い話だが 怖かったのは金属の棒を持った黄色いタンクを背負った人影を見た 僕の方で心の中で笑ってしまった 不振ならどうぞ部屋の中をチェックしてくれと促したが 警察官は一歩も足を踏み入れなかった 翌日第2メサの入り口の集落オライビに向かった そこには小さな平屋の家が立ち並んでいて 人気をあまり感じなかった 昔はお金を稼がなくても自給で来ていたのだが ごみを捨てるにもお金がかかるため 居留地の外に働きに行っているのだ そこで行き会った乗用トラックを運転する彼にあいさつする 家に来いという 平屋の家々の中の一件にお邪魔する とても素朴で でも日本の田舎の生活にも通ずる 近代社会に飲み込まれようとする悲しさも感じた そこでいくつかの素朴かつ大事な話を聞かせていただいた オライビを後にして荒野の中寄り道をしながら 寄り道といっても人気のないところ 自然の精霊のささやき以外受け取るものはなかった お天道様のありがたいぬくもりのある日差しを受けながら 第3メサの入り口の集落ホテビラに向かった 続く・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.03.08 12:00:56
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