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2007年02月11日
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2007.2.11(日)パート1
*ゲスト/「チェルノブイリ支援運動・九州」代表・矢野宏和さん
*16年になった活動からお話しをうかがいました。

【チェルノブイリ原子力発電所事故とは?】
1986年4月26日午前1時24分、ウクライナ共和国(当時はソビエト連邦の下)チェルノブイリ原子力発電所4号炉で起きた、原発史上、世界最大の爆発事故です。2度以上の大爆発、原子炉は壊れ、核燃料は粉々になって上空に吹き上げられ、放射能は、遠くの国々まで運ばれ降り注ぎました。

チェルノブイリ原発周辺は、30キロにわたって人の住めない所になり、14万人が避難、事故の4号炉はコンクリートで覆われ「石棺」と呼ばれています。

事故はそれで終ったわけではありません。今も汚染された土地に住む人々、汚染された食べ物を食べている人たちがいます。年々、ガンなど様々な病気にかかる人が増えました。風化による「石棺」が崩壊する危険もあります。20年を経て乳飲み子は成人した今、特に深刻なのが、その子供たちに発症している小児甲状腺ガンです。

【このネットワークを設立した理由】
(株)ウィンドファームの社長である中村隆市氏は、この事故の悲惨さを知ると共に「汚染され日本などから輸入を拒否された小麦など作物は、一体どうなったのだろう?」と調べてみました。すると、行き所のない作物は、飢えのある開発途上国・アフリカや東南アジアや南米の諸国に届けられていたのです。農業国の汚染地帯の人々が、食べていくため、医療を受ける為には、必死で作物を買ってもらう所を探さなければならなかったのです。ブラジルの有機珈琲を輸入販売を業とする中村氏は、この矛盾に「自分は何が出来るだろう?」と考えた末に、珈琲1袋売れるごとに50円の募金をすることを決め、されにカンパを募るため個人的に1990年6月「チェルノブイリ支援運動・九州」を立ち上げて全国的に訴え始めました。

【活動の内容は?】
チェルノブイリ原発は、ウクライナ共和国にあるのですが、隣国のベラルーシ共和国の国境付近に位置することから、指定放射能汚染全域の60%が北方のベラルーシに及んだのでした。
1990年12月ウクライナに放射能測定器・粉ミルクなどを寄付するともに治療所や幼稚園に向けては、絵本・食料などのクリスマスプレゼントを贈りました。91年にウクライナとベラルーシに調査団を派遣して以来、ボランティア医師の派遣検診・医療機器の贈呈・現地医師の研修などをベラルーシに向けて医療援助続けることになりました。また、日本国内に対しては実情を知らせるため、被害を受けた子供たちの作文集の出版、映画の上映など企画を実現させ多くの支援者を募って来たのです。昨年まで16回に及ぶ医療派遣団を送り、現地医師の検査医療技術向上を図り、医薬品・検査測定器を含む医療機器を贈り、その中でもベラルーシ赤十字に寄贈した移動検診車「雪だるま号」は画期的な活躍貢献し、子供たちにも親しまれてきました。(今、1号は老朽化し2号が活躍しています)そして、日本の支えている会員は、約2800名になりました。

【現代表・矢野さんが初めてベラルーシに入ってから?】
入社して、この活動を知り会員になって活動を始め、最初に現地に行ったのは96年のことでした。
「10年経ってもまだ汚染が残ってるといわれ甲状腺ガン多発の地に踏み込むに際して、怖さがありませんでしたか?」の問いに「日本に居る時は多少は構えもしたが、多くの方々と一緒に現地の方々の顔を合わすときには全く忘れていました。」と言う。さすがに有刺鉄線に囲まれる汚染ゾーンにまでは近づかなかったそうだが、村の住民が避難退去した後に残る家の付近まで活動しました。
事故後、危険な汚染地区から遅ればせながら総計40万人が移住したと言われるが、ベラルーシのテニスプレイヤー・シャラポアの家族のように富裕階級で移住・新しい仕事や生活に問題のない人々を除いて、多くの人々は、農場と森林の国を捨てては生きたいけないと汚染の危険を覚悟で我が家へと戻ってきたのだ。矢野氏は、ベラルーシの風景を眺め、その人たちの声を聴くとその心情に頷いてしまう。しかし、これからも恐らく10万人にのぼるガンの発生予想がされる場所で暮らさなければならない弱い子どもたちには不安はつのるばかり。いつもそんな健康に対する不安を抱きながらの生活を強いられている人々に少しでも安心を送りたい!人々から、検診ひとつにとても感謝される。日本では、2時間待って5分の診察に文句を言う人は多いが、ベラルーシでは5、6時間待っても笑顔になる。学ぶことは多い!

【なぜ、ベラルーシに小児甲状腺ガンが多発しているのか?】
ベラルーシやウクライナは、海に遠く内陸で人々にヨウ素の供給不足があり、地方病として甲状腺腫が多いのだが、事故後の放射性ヨウ素の被爆は甲状腺ガンの凄まじい多発を数字が示している。甲状腺というところは、海草などに含まれているヨウ素を養分としている。ところが、人の体は、ヨウ素と放射性ヨウ素とを区分できないから、栄養として取り込んで被爆してしまう。核事故の対処法としては、ヨード剤を飲んで、甲状腺をヨウ素で飽和状態することだ。すると、放射性ヨウ素が吸収される余地がなくなる。通常、甲状腺ガンは大人の病気である。子どもがかかることは滅多にないのだ。
これは、ベラルーシが放射性ヨウ素131による放射能汚染に最も覆われた地域で、胎内被爆や母体被爆により、将来ガンになる可能性のある異形細胞が発現した結果だと見られている。

【これからの活動と抱負?】
2007年2月1日この団体は、NPO法人となり「チェルノブイリ医療支援ネットワーク」と名称も変わりました。今後とも、国際赤十字連盟ベラルーシ支部との連携の上、活動範囲をベラルーシ共和国ブレスト州ブレスト市に置き、現地の市民並びに汚染地区人々が少しでも安心した生活を送れるように、また二度とこんな悲惨な事故が起きぬように日本でも訴えていきたい!運動に賛同される方は、是非会員やカンパ人になって下さい!連絡先は、093-202-5282(TEL/FAX)です。

【★感想】
このチェルノブイリ原発事故は、真相が究明されればされるほど不慮の事故とは言えない、人災が見えてくる。日本の「もんじゅ」などの事故も同様で、死者を出し後に目に届かない所で、そこに住む人たちに被害を与えている。そして、原発のある場所は、いずれも田舎であり、元は素晴らしい自然豊かなところである。被害は、そこに住む人々、これから生まれ出る子供たちに及んでくるのだ。便利快適をこれ以上追求する前に、まず人々の安全な生活を考えてもらいたい!
☆あの青森県六ヶ所村は、『地下水が多く、地盤が弱く、大地震が懸念されるほか、周辺に空港・空軍基地・射爆場を抱えて、航空機事故の危険性が高いなど、「適地」とはほど遠い』というのに、
核燃料サイクル施設の「適地」とされたという~映画『東京原発』の中で、役所広治扮する天馬都知事が語ったセリフを思い出しました。

コメンテイター:アラケン





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最終更新日  2007年02月21日 19時59分30秒
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