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カテゴリ:岡山県立倉敷天城高校校友会顛末
正門付近の写真です。 私は30年前に、小雪舞う中、この高校を卒業し、 その後、サクラ満開の千鳥が淵の武道館で、 明治大学の入学式を終え、進学したわけです。 この学校は、平成18年に創立100周年を迎え、 平成19年には中高一貫教育校として、 県立中学校を開校させた岡山県内では名門 高等学校の一校です。 実は、この学校では、卒業生が10年区割で、 全体の校友会を世話するという伝統が在ります。 この伝統は、県内唯一のものです。 18歳で卒業するとして、 翌年の19歳の時と、 10年後の29歳の時と、 20年後の39歳の時と、 30年後の49歳の時に、 栄えあると言うべきか、名誉というべきか、 つまりは大変にプレッシャーとなる 校友会担当学年が回ってくる仕組みです。 私は卒業後30年というわけで、 卒業区分けでいうところの 高33回卒であり、来年8月に盛大に開催される予定の 校友会全体総会の最高責任学年となるんです。 更に、この担当学年は、その担当行事に併せて、 それぞれの学年の同窓会を行うのが恒例と なっているのです。 で、何が大変なことになったかと 申しますと、最高学年から選出される、 校友会実行委員会の委員長に選ばれてしまったのです。 これには様々な理由があるとは思うのですが、 来年の8月14日の総会目指して、 この日々多忙な業務の中で、 責任者の一人として、お仲間の協力を仰ぎながら、 受けた役を完遂させなくてはなりません。 人生とはハプニングの連続ですが、 受けた以上は何とか頑張り、 来年の会の当日には、この上ない 充実感を味わいたいものであります。 校友の皆さん、どうかお助け下さい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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