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カテゴリ:毎年のハワイ旅行日記
ほど前から真珠湾で博物館として公開中)を、妻と共に訪れました。 冒頭の写真は、ミズーリ―艦首の主砲をバックに、デッキで撮影した ひとコマです。 ここには、私が旅行会社の添乗員として数度訪問した時に、日本の 真珠湾攻撃によって撃沈された、アリゾナが博物館として公開され ており、その都度心を痛めながらも興味深く見学した記憶があります。 1941年12月7日(日本時間8日)早朝、日本軍の奇襲攻撃に よって、戦艦アリゾナが大勢の乗組員とともに、パールハーバーに 轟沈されたことは、日本人なら誰でも勉強して知っていることです。 日本とアメリカはその後4年間にわたり、数十万人に及ぶ犠牲者を 出す壮絶な戦争に突入しましたが、アリゾナ記念館は、太平洋戦争 の火蓋を切ることになった歴史的場所なのです。 太平洋戦争の端緒となったその現場と、1945年9月2日に、 東京湾で日本の降伏調印式が、そのデッキで行われた ミズーリ―が同一の、このハワイのメモリアルパークで見学できると 言うことは、アリゾナのみにしか訪問したことが無かった私に とって是非とも訪れておきたかった場所です。 当時の大日本帝国の降伏文書調印式は、東京湾に停泊する このミズーリの甲板上で行われ、アメリカ合衆国、イギリス、 フランス、オランダ、中華民国、カナダ、ソビエト、オース トラリア、ニュージーランドが調印して日本の降伏が受け入れ られた訳です。 【調印式が行われたポイントに埋め込まれた記念プレート】 記録では、連合軍最高司令官マッカーサー陸軍元帥は、8時43分に 乗艦し、艦橋から階段を降りてきて9時2分にマイクの前に進み、 スピーチを行い、降伏調印式は23分間にわたって世界中に放送された とあります。 【マッカーサーが降りてきた階段を下りる筆者】 訪問当日、私たち夫婦は専用車をチャーターし、どの観光客 よりも早くこのサイトを訪ねました。 まだ観光客のいないゲートをくぐり、ミズーリーに近づきま した。(その威容は写真では表せない!) 本来は予約をしなくてはならない内部観光を、日系米国人 ジョージ氏の、丁寧な日本語案内で内覧させてもらい、彼から いくつかの重要なエピソードを聞かせてもらいました。 その一つとして、今でも、ミズーリの右舷艦尾には「カミカゼ・ アタック・サイト」呼ばれる「凹み」が残っている点です。 日本が降伏する4か月前、鹿児島県の鹿屋(大隅半島)を 飛び立った零戦特攻機16機のうちの一機、石野節雄・二等 飛行兵曹(当時19歳・岡山県出身)が、体当たりして自爆した 痕跡であり、彼の亡骸を、軍艦として最高の敬意を表して水葬 したことなどのエピソードが日々披露されており、世界中からの 多くの観光客の関心を集めているとのことでした。 また平成13年には、日米のこの関係者がこの艦上で対面して、 平和友好の絆を確認したことも話して下さいました。 長年訪問しておきたかったこのミズーリ―を、今回念願かなって 観光できたことは、このハワイ行きの最高の思い出となりました。 戦後66年が経ちますが、まだまだその時の様々な問題を 今でも解決できないで各国は生きてきています。 戦争の無い平和な地球は、私の最大の夢です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011/11/04 09:53:56 AM
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