裁判員に求められる社会常識からの判断って何なんだ?
あさのNHK,今日から裁判員制度の紹介をやっている。さすがNHK。とおりいっぺんのことしか言わない。そんなかで、『社会常識を判決に』にひかっかりを覚えた。わからないことは、裁判官が教えてくれるとも。まず、社会常識ってなんなんだろう。社会常識というなら、裁判官も司法試験を受けなくても、一般常識で採用すればいいではないか?『一般常識のない』判決という現状を打破するための裁判員制度は、裁判官という職業自体を否定することになるのではないか?対象は、刑法の重い犯罪だ。もちろん、裁判官の知識と経験は必要かもしれない。でも、逆にどう『社会常識』が入り込む必要があるのか?『社会常識』をいうのであれば、行政官庁の処分に対する行政裁判こそ、その『社会常識』で方向性をただすべきではないか?つぎ、わからないことは裁判官が教えてくれるというが、結局、上の社会常識の話を否定することになるのではないか?というか、国が決めた判決の方向に国民を共犯としてとりこんでいく。裁判官は、弁論のプロだ。裁判員の考え方を変えさせることくらい朝飯前だろう。結局、司法制度改革なんて、コトバのうえでの改革ということだろう。中身は『改悪』こんな中途半端な『改革』はやめたほうがいい。