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カテゴリ:児童・生徒の問題
「勝ち馬に乗りたがる子供たち」の出現を1990年後半であるかのような書き方をしましたが、急にそういう傾向が出てきたわけではないと思います。 プロ野球のFA制度を例に挙げて書きましたので、ついでに言うと、それ以前にも象徴的な出来事が、プロ野球を舞台にして起こりました。江川卓の「空白の1日」事件です。 ------------------------------------ 1978年ドラフト会議の二日前に帰国し、ドラフト会議前日に巨人と電撃契約した(空白の一日事件)。セントラル・リーグ事務局は即時にこの契約を無効として江川の選手登録を却下したが、それに抗議した巨人はドラフト会議をボイコットした。ドラフト会議では阪神タイガースが江川を1位指名したが、巨人が欠席したドラフト会議は無効であると主張して、江川の阪神入団を認めなかった。なお、日本プロ野球において3回ドラフト1位指名を受けたのは江川だけである。この問題はこじれにこじれたが、最終的にコミッショナーの「強い要望」により1979年1月にドラフトで指名した阪神に入団した上で、小林繁投手を相手とする交換トレードで巨人に移籍することとなった。この事件により江川は一躍悪役に祭り上げられ、マスコミは大挙して江川を批判すると同時に、小林を悲劇のヒーローとして報道した(江川事件)。 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 より ------------------------------------ 強い方に乗ろうとする江川自身と強い巨人に結局は逆らえない大人たち。この事件について長嶋や王がはっきりとした意思表示をしなかったのがまだ子供だった私には驚きでした。とてもがっかりしたことを覚えています。 それでもこの事件後、小林投手が反骨精神を見せたことと、前年度に江川を指名して入団を断られていたクラウンライターライオンズが西武ライオンズとなって巨人の“勝利の独占”を阻んだことによって、勧善懲悪はかろうじて守られたように思いました。 江川事件以降の苦しい流れを変えようとして、FA制度の導入が巨人主導で進められたのでしょう。新しい覇者となった西武から、工藤・清原・豊田と、3人もの主力選手(工藤はダイエー経由)が巨人へ流れており、巨人のなりふりかまわぬ天下取り作戦が見て取れます。
・・・・「プロ野球と子供たちの間にそんなに関連はないよ」とおっしゃるご意見もあると思います。 でも、これらの出来事は、直接的であれ、間接的であれ、社会からのメッセージとして伝わっていると思います。ニュースで直接見聞きしなくても、親から、先生から、友達から、近所のお兄さんから、社会からのメッセージは形を変えながらも微妙にかつ確実に子供に伝わると思います。 イイカッコをしろと言いたいのではないですが、大人は、社会は、子供たちにもっときちんと「正義」を伝える努力をするべきだと思います。 “全てのことは、メッセージ” お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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