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カテゴリ:児童・生徒の問題
トウサンさんからいただいたコメントで思い出したことがありますので、書き留めておきます。 子供がトラブルを起こして、呼び出して、話をするという場面は昔からよくある学校の光景です。私も何回トラぶった子供の指導をしてきたのか、数え切れないし、正確なことは忘れてしまっています。 ただ、下記の出来事は、1999年に「おや?明らかに、変わったな」と感じたことです。小さな出来事ではあるものの、強い衝撃を受けたので、1999年の出来事だったのを、はっきり覚えています。 (下の例に挙げているのは、"消しゴムを無言で使われたのに腹がたって殴った" と言う程度の実にクダラナイ類のトラブルに対する指導だと思ってください。) それまでの子供は、 「人に迷惑をかけるのはよくない」 という話(前後のことを書いていると長いので、超省略します)でだいたい納得をして、次に話が進むのが普通でした。次の話とは、人に迷惑をかけたことに対して、どのように償えばよいかを考えることです。 ところが、1999年に受け持った子供は・・・ 「人に迷惑をかけるのはよくない」 と言っても、なぜ人に迷惑をかけるとよくないのかが、本当に分からない様子でした。いやいや、ちょっと表現するのが難しいです。言い換えると、頭で論理的には理解できるが、体がその論理を受け付けられないというそぶりを見せます。 「人に迷惑をかけても、僕が楽しければいいんじゃないの(或いは、僕が腹が立ったら迷惑をかけても仕方ないんじゃないの、或いは僕がなんとも思っていなければそれは迷惑とはいわないんじゃないの、或いは、アイツに迷惑をかけるのは普通のことじゃないの)」 と言いたげなのが、透けて見えるのです。 だから、償いの段に話が進まないのです。 仕方がないので、私はこう言い換えました 「そうやって人に迷惑をかける君は、みんなに避けられるようになるよ。それって、君の損ではいかな。それに、人から恨まれるのは君にとって得なことじゃあないと思うよ」 といった意味の内容です。 そこで、やっと腑に落ちるようなのです。 そうなのです。人の立場ではモノを考えることができなくなってきたのです。自分にどのような損得があるのかという視点でないと話に向き合うことができない。それが一人や二人ではなく、かなりの数の子供の中にそういう感性が浸透してきているように感じました。 1999年だけの話ではなく、それからずっと続いている傾向です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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