ババア・ジジイ
コロス
ウザイ・キショイ
学校にいると、これ以外にも、気になる言葉がたくさん聞こえてきます。
ムカツク・イラツク
キレル・キレタ
はあーっ?!
ムナシイ
終わってる etc・・・
まだまだ、たくさんあると思います。いつの間にやら子供の間でも大人の間でも、聞いていて気分が悪くなる言葉が(1)ふだんの“ごく普通の会話”の中で(2)平然と(3)人目(耳?)をはばからず、発せられるようになってしまっています。
1980年代の短小軽薄、いわゆる「お笑いブーム」以降、本音を口にすることが美徳であるかのような雰囲気が蔓延し、若い層を中心に心に浮かんだことをすぐに言ってしまう傾向が出てきたように思います。・・・ここで言う「昔」と「現代(今頃)」は、「お笑いブーム」の前後で分けることにしてみます。ハッキリといつからが境目なのかは言いにくいのですが、漫才ブームたけなわの1980年辺りが転換点であったように思います。
些細なことでもストレスを感じたらすぐに「自分がストレスを感じている」シグナルを表現してしまう。しかも、相手や周囲にとってあまり気持ちがいいとはいえない乱暴な言葉で。ひと昔前ならこんな場面で自分の気持ちを口に出すには恥ずかしく、胸にしまいこんでいたのではないかと思われるようなケースでも今頃は平気で「乱暴な言葉」を使ってしまう。
このような言葉をどう表現したら良いでしょうか。「ストレス語」「否定的な言語」「マイナス的な言語」・・・等いろいろと候補を考えてみましたが、以下、とりあえず「乱暴な言葉」と表すことにします。
単に我慢ができない子供が(大人もですが)増えたといってすまされるようなレベルではなく、日本社会全体の言語環境が危機的に乱れている状況なのではないかと感じています。オーバーでしょうか?危機であるというのに、たいていの人が言葉が乱れていることに対して「無自覚」になってしまっていることも気にかかります。
「乱暴な言葉」を日常的に、無自覚に使っていて、まともな人間関係を築くことができるわけがありません。人間固有のインターフェイスであるはずの言語の乱れを見直し、正していく努力が必要とされているのではないかと思います。いわゆる「コミュニケーション不全」の一要素として、言葉の問題は大きいのではないかと考えています。