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カテゴリ:番外編
ガダルカナル島事件→・・・→江川事件→三菱銀行人質事件→グリコ事件→豊田商事事件→女子高生コンクリート詰め殺人事件→オウム審理教サリン事件→神戸連続児童殺傷事件→・・・ 何を象徴と感じるか、暗示的と感じるかは、個人差があると思います。私は「劣化の象徴」として、1978年の江川事件や三菱銀行人質事件も、たいへん象徴的な出来事だと感じした。 さて、上記の事件とはまた違う系列で、「1986年の日本シリーズ・西武対広島戦」も、また、いろんな意味で象徴的だったと思います。西鉄ライオンズの伝説の日本シリーズ対巨人戦、「3連敗後の4連勝」以来の大逆転シリーズ。おまけに第8戦までもつれこんでいます。教育関係の話題とは少々脱線しているのを承知の上で、書いてみます。このシリーズのDVDやウィキペディア当を参考にして書いていきます。記憶が不確かなので、間違いや補足を連絡いただけるとうれしいです。 「劣化」とは必ずしも関係しない部分もありますが、この年の日本シリーズには世相を反映する部分や、様々な人間模様が交錯していて掘り下げていくと実に面白い部分があります。 この後、掘り下げすぎ(笑)の番外編、「1986年の日本シリーズ・西武対広島」が続きます。 西武ライオンズ 1978年に発足した新興球団西武は、1981年の日本一以来、1993年までに8度も日本一を実現する。 超弱小球団であったクラウンライターライオンズは最後の年1978年根本陸夫監督のもと、最下位であった。野武士集団西鉄ライオンズとして一世を風靡した10数年前の面影などどこへやら、人気実力ともに12球団中最低だったように思う。一軍が練習用のボールさえも満足に確保する事ができなかったという話を聞いたことがある。確か、当時猛烈に強かった阪急ブレーブスに9回から6点差ぐらいを簡単にひっくり返されたのを覚えている。とにかくめっぽう弱かった。 そんな中でも柳川商業高校トリオとして、若菜・真弓・立花が、フレッシュな光を放っていたのを覚えている。また、東尾・太田・土井・基・竹之内らの西鉄・太平洋時代のメンバーの豪快さにも、わくわくさせられた。この人たち、もしかして試合前に、飲んでいるのではないかと思わせるような、いい加減さが、面白かった。 ・・・九州(当時の本拠地は福岡)人でもないのに、こんな事を覚えている人間は少ないと思う(笑)。私は、なぜかこの弱小球団を応援していた。私はもともと判官びいきなところがあり、1975年に広島カープが前年最下位から優勝した時にもカープを応援していた。それで、そのときの弱者が強者を打ち破る痛快な気分が忘れられずに、たまたま最弱球団クラウンライターライオンズを応援していたのだろうと思う。 そんな最弱球団が、1977年、クラウンが江川を指名したときには、私は歓喜したが、つれない江川は、作新学院職員としてアメリカに留学してしまう。その後、1987年のドラフト直前に球団が大資本西武グループに買収される。それでも江川は入団を拒否。「空白の一日事件」を起こす事になる。西武に江川が入団していれば、その後のプロ野球界の歴史も変わっただろうに。 大資本西武グループがオーナーになると言うのは、今ひとつ、なじめない部分も感じつつ、私は、この新興球団が江川の入団した巨人をいつか倒す日が来ないものか、そんな日が来たら面白いのに、と、思いつつ、応援を続けることにした。 江川は入団しなかったが、その後、チームは豊富な資金力で次々と補強をしていく。上の写真のメンバーは1986年、対広島シリーズの第一戦の先発メンバー。クラウン以前からの生え抜きは、東尾のみになっている。この年は、新人清原も加わり、まさにヤングレオ台頭の年であった。 西武ライオンズオーナーの堤義明(2005年証券取引法違反で逮捕)の媒酌人は、現首相福田康夫の父の福田赳夫(当時の首相)で、彼が西武の初代名誉会長に就任している。堤義明と福田康夫はなんと高校の同級生! 福田赳夫は、この年の末に、田中派(角栄はロッキード事件での逮捕によって自民党を離党しながらも闇将軍として君臨=わけわからん)が支持する大平正芳に首相の座を明け渡している。 ちなみに、江川の出身校作新学院の理事長の船田元は田中派のプリンスだった。自民党には巨人ファンが多く、巨人vs西武の関係は、田中派vs福田派の関係を映し出していたのかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Oct 10, 2007 01:12:13 AM
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