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カテゴリ:番外編
西武対広島のシリーズを語るために、、広島・西武という球団の生い立ちと、その両方に関わった根本監督についてを知っておくと面白い。 広島東洋カープ 1975年に衣笠祥雄、山本浩二を擁して古葉竹識監督の元、リーグ優勝をするまでは、超弱小市民球団であり、万年Bクラス、経済的にも困難で、解散がうわさされていたそうである。 1975年~1996年辺りまでの約20年間は強いチームであったという印象である。粘り強く、結束力があり、少ない資源を生かしたある意味、「昭和の日本」的なよさを持ったチームだった。地味ながらも名選手が多く、みな苦労人だった。江夏・津田・大野と続くストッパーの活躍は圧巻だった。 後に、クラウン・西武ライオンズの監督となる根本監督が、1968年~1972年の間、広島カープの監督であり、盟友の深見安博、関根、子飼いの広岡達朗、小森光生、岡田悦哉ら優秀なコーチの招聘により衣笠祥雄、山本浩二、水谷実雄、三村敏之などを育成し、後の赤ヘル黄金期の礎を築いた。西武の黄金期の礎を築いたのも根本監督であり、そういう意味でもこのシリーズは因縁めいている。 根本監督 クラウンの監督時代には、開幕投手に新人投手を当てるという破れかぶれの投手起用をした記憶がある。もちろん失敗だったと思う。 クラウン時代は最下位。根本監督は西武となってからも1979年~1981年まで監督をするものの、成績はかんばしくない。1979年は開幕12連敗。采配は面白かったが、それが勝利に結びつきそうにないのは中学生だった私でもわかった。 その代わりに、裏方としては、すごかった。在任中も、監督退任後も球団フロントとして人事権を発動し、西武と後に移ったダイエーの黄金時代の基礎を築く。その豪腕に関わりを持つことになる選手は数知れず、ウィキペディアによると、
こうして名前を挙げれば、根本氏が球界に与えた影響は、計り知れないものがある。 「寝業師」と異名をとった彼は、最終的にはダイエーの球団社長にまで上り詰めた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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