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カテゴリ:番外編
弱小球団から突如大資本オーナーの補強による金持ち球団に変身したライオンズを応援するのは、金満主義を応援するような気分で、後ろめたいような気分がありました。それでも私が応援し続けた理由の一つは、人間模様の面白さでした。 その面白さの一つに、同じく金満主義であった巨人をやっつけるというドラマがあったからです。西武には、反主流の一面があったのです。対広島シリーズから少々話がずれてしまうのをかまわずに背景を書きます(笑)・・・
・ 1983年は超管理野球・広岡監督のもと、全く肌が合わなかったのではないかと思われる野武士軍団西鉄ライオンズとクラウンライターライオンズの面々(東尾・大田・永射)、そして田淵が活躍している。 ・ その広岡監督も、もともとは巨人出身でありながら、巨人の監督の座にはつけませんでした。後の森監督とともに、巨人では主流でなかったのではないかと思います。 ・ 1983年の後、西武は若返りを始める。1986年の対広島シリーズのメンバーはヤングレオと呼ばれ、工藤・渡辺両投手が軸となっており、新人の清原、辻、秋山、伊藤と、みな若い。このメンバーが出揃ったのが1986年であり、1987年の対巨人シリーズでは巨人を圧倒する。メンバーはほとんど根本氏が連れてきた選手に入れ替わっている。根本氏が中心になって、強引に連れてきた選手も多い。 ・ 1983年がプロ野球史に残る名勝負といわれているのに対し、1987年は西武の完勝に終わった事もまた興味深い。私は1987年の対巨人戦より、1986年の対広島戦の方に魅力を感じる。 ・ その10年ほど前から巨人が「生え抜き・純血選手を中心にしたチーム作りを守る」という方針を転換し、なりふりかまわぬ手法で有名・有望選手の強引な入団を始めていた。張本・高橋・加藤一・江川・桑田。西武の成長は巨人の手法を真似たといっていいだろう。 ・ 巨人に対抗し、巨大資本西武の登場。やがては巨人を凌駕するまでに育っていく。巨大資本による投資と回収。それは、当時、社会の至るところで進行していた。「プラザ合意」「地上げ」が問題となり、世の中はバブルへと向かう。新興の大資本西武が新人類中心のチームを作り、経済的弱者の玄人(あるいは苦労人)集団広島を1986年の日本シリーズで下す。時代が動いている事を暗喩するようなシリーズだった。 ・そんな西武・巨人の関係も、1990年代、西武・堤オーナーが球団経営に飽きてしまったことと、巨人のさらになりふりかまわぬ強引な他球団選手のヘッドハンティングによって、面白くなくなってしまった。工藤・清原が巨人へ?!あまりにも下らない話である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Oct 12, 2007 11:08:08 PM
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