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カテゴリ:番外編
・ 石毛・工藤・渡辺(下写真は祝勝会でのこの3人)・秋山・清原らは実に明るく、これにデーブ大久保が加わると、本当に面白かった。そういう意味でも、ヤングレオは球界の新しい風であった。西武はパリーグの球団だったのでいまひとつ認知度が低いのでこの面白さを知る人が少ないのは惜しい気もする。 ・ 生涯1チームで生きた旧時代の面影を背負った人(山本浩二・衣笠をはじめとする広島のほとんど・東尾・大田)。主力でありながら他チームへと移った新時代の人(工藤・清原・石毛・秋山そして森監督も元巨人の人だった)。1986年の日本シリーズでは、新旧時代の人が交錯している。 ・ このシリーズで活躍した西武の選手は森監督の引退後、FAという「個人の自由」を行使して大挙流出する。西武は空中分解。巨人はFAによる有力選手の大挙流入で膨張する。工藤と清原も巨人に行き着くものの、結局は巨人を追われる。 ・ このシリーズ後に広島監督となった山本浩二は主砲江藤とエース川口をFAで巨人に奪われる。広島は再び暗黒時代へ。 ・ FAでの有力選手集めに腐心した長嶋監督は、「何でも欲しがるチョーさん」と、揶揄された。プロ野球が面白くなくなったのは、大リーグへの流出だけが原因ではないだろう。「引退後の就職に有利」だとかの個人的な理由で巨人になびくスポーツ選手というのも、実に悲しい。 ・ 今年(2007年)の巨人は前年度の日本一チーム日ハムの主砲であった小笠原をFAで獲得してのセリーグ優勝だった。優勝戦は、地上波で放送される事さえなかった。 ・ 今年(2007年)の西武ライオンズにいたっては、27年ぶりのBクラスという結果に終わった。 ・ いろんな意味で、前後にあった、大型資本対大型資本の1993年と1997年の西武対巨人シリーズよりも、大型資本対弱小球団の1986年西武対広島シリーズは、私にとっていつまでも、より強く印象に残る試合となった。 ・ 西武が台頭した昭和最後の10年、あるいは1980年代という時代は、ボーダレスやタブーレスが急激に進み、個人主義が成熟していったように思う。個人主義といっても、「日本的な」個人主義であり、西洋型の強い個人を前提とした個人主義ではない。弱い個人がバラバラで漂流しているようなイメージがある。人々は「確信」や「アイデンティティー」「帰る場所」を急激に失ってしまったように思う。このシリーズに出ているそれぞれの選手もそんな時代の影響を受けていたのだろうし、時代を背負ってもいたのだろう。 ・ 個人が「しがらみ」から解放される代償として、社会全体が歪んでしまったように感じる。プロ野球だけではなく、あらゆる場所で、あらゆる場面で、「歪」は増殖・拡大していた。1986年の西武対広島は、私の中ではそれを象徴している。 ・西武ライオンズは、既成のプロ野球界を壊したのではないか。そして、西武自身も壊れたのではないか。 ・ 2007年からは上記写真の渡辺久信が監督に就任した。1980年代、渡辺は工藤とともに西武のエースとなり、西武きってのイケメンであり、DCブランド(ナツカシ)を着こなし、モテモテであった。しかし、選手としての晩年は急速も衰え、ヤクルトに移籍するものの活躍ができず、台湾球界へと活躍の場を移す。現在の彼は禿げた頭を隠さない。西武はどこへ行くのか、プロ野球はどこへ行くのか??歪んだ社会を再生させる代替案は、いまだに示されないままである。
またまた、岡田斗司夫氏の言葉を引用。 「勧善懲悪、努力と成長といった、それまでの既成概念に沿ったストーリーを壊すのが自分たちの正義だと思っていた。本当は、そういうものを壊したらダメだった。見終わった後、『明日も学校で頑張ろう』と思えるアニメを作らないといけなかった。」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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