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カテゴリ:その他 雑多
この事件について、たくさんの識者がコメントした番組や記事を目にした。TVや雑誌は当時こぞって特集を組んだし、関連本もたくさん出版された。事件発生から少年Aの逮捕、そしていくらかの確からしき情報が出回るまでの間に目にした記事や言説の中には、明らかに間違っているものもあった。犯人捜しに躍起になるマスコミによって報道被害が発生した。特に友が丘小学校での第一、第二発見者にマスコミから疑いの眼差しが向けられたことと、淳君の家族周辺への二次被害とも言えるような報道姿勢はこの国が抱える問題の一つではないだろうか。想像力の欠如という点では、マスコミも少年Aも同質である。
識者が挙げた犯人像も大きく外れているものがほとんどだった。 体罰や学校の不備を指摘することによってこの事件を説明しようとした論者も多くみられた。しかし、体罰の事実は見つからなかった。マスコミはトーンダウンしながらも、それでも学校の失点を探し続けた。 人工的な都市に問題があると言う識者も多かった。確かに、人造的な都市が良くなかった部分はあるかもしれない。山が切り開かれ、ニュータウンが形成されていく過程に何か問題があったのかもしれない。だが、あの街は少なくとも自然に近いところにある。都会で起きれば自然がないとか悪い誘惑があるとか言われるのだろう。その後、田舎でだって少年の凶悪な事件が起きた。 祖母の死、母の体罰、阪神大震災の影響、少年Aに元々発達障害的な部分があったなどと、いろいろ理由を付けて、一生懸命に説明しようと頑張ってみたものの、答えは宙に浮いたままである。 何かがきっかけになって少年Aをこの凶悪な事件へと導いてしまったのは確かであるけれど、何かが決定的にこの事件の要素になっているとは考えにくい。いろいろな要素が相まって、増水した川の堤防が崩れるようにこの事件が引き起こされたのではないかと、私は想像している。おそらく、答も、真相も、宙に浮いたままなんだろうと思う。私たちには宙に浮いたままのこの不気味な事件が何を指し示しているのかを少しでもまともに読み取る努力をするしかないのだろう。そためにはなるべく客観的な事実を読み取れる書籍が必要である。 たくさん読んだ本の中で、今も手に入る高山文彦の「「少年A」14歳の肖像」は、けっこうまとまった資料だと思う。高山文彦氏が事件の数か月後に発表した「地獄の季節-「酒鬼薔薇聖斗」がいた場所」に不足を感じて改めて取材をやり直し、2年後に発行した書物である。どちらの著作も感傷的過ぎる部分を除けば、事件の周辺が比較的よくわかる。 1年以内に発表された多くの論説には、間違いや見当はずれが多かった。高山氏は2冊目で1冊目に書き足りなかった点をフォローすることを目指していた。時間の経過とともに事態も変化し、各識者の視点も変化しているだろうから、是非、当時に語った人々、本を出された人々の現在の意見を聞きたいと思う。被害者である山下彩花さんの母親と土師淳君の父親は、2冊目の本を発表している。当時コメントなり論文を出した識者たちには、事件をもう一度きちんと振り返る責任があるのではないか。多くの誤った報道を垂れ流した各マスコミや、推論の域で性急に事件を語った識者達にも、事件を再考してもらい、もう一度まとまった形の文章を出していただきたいと思う。高山氏には3冊目を期待したい。 さらに、事件から10年以上が経過した現在の時点での両親の手記も是非読んでみたいものだ。 さて、では私はどのように振り返ればいいのか。単にブログというメディアで私見を語るだけなのだから、事件の全体像を網羅的に語るよりは、視点を定めて書いた方がいいだろう。この事件を語るには、あまりにも切り口が多すぎる。学校の問題、家族の問題、発達障害の問題、メディアの問題、社会の問題、少年法の問題、ニュータウンの問題、マスコミの問題・・・一つ一つを丁寧に取り上げれば、ただただ膨大な文章になり、今までに語られたことの蒸し返しになってしまう。 教師であるからには学校の問題を書きたい気もするが、この事件に関してはあまりにも学校に関する情報が不確かで、推測の域を出ない部分がある。校長以外の学校関係者はほとんど公に事件を語ることがなかった。教師という立場であまり私見を述べるべきではないというのは理解できる。ぜひ友が丘中学校・多井畑小学校の教師の話は聞きたいところではあるが、仕方ないかもしれない。 そこで、少年Aの家族の問題という視点からこの事件を見つめてみようと思う。少年Aの両親を非難し、責めることが目的ではない。少年Aの家族の問題には広く現代の家庭の問題が連なっていると思う。「家族の問題」はこのブログで取り上げたい重要な課題の一つであるから・・・。
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