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家族の問題について触れるなら、「『少年A』この子を生んで・・・」は読んでおかなければならないだろう。両親が事件を語った貴重な本である。 ただし、この本は両親側からの視点で描かれているため、これだけを読んでいたのでは中立的な思考をすることは難しくなる。前回のエントリーで挙げた書籍等を併せて読んでおかないと、間違った事件の見方をしてしまうことにもなりかねない。実際、この手記を読んで、 「ちょっと変わったところもあるけれど、普通の母親、どちらかというと良心的なところもある」 という感想もいくらか聞いたことがある。 私はどちらかというと母親に対しては厳しい見方をしている。本書のはじめの数ページを読んだだけで「許せない」気持ちになってしまった。それまでにも漏れ伝わってくる報道から両親に対しては悪い印象しか持っていなかったのが、本書の中での両親の的外れな言い分でさらに嫌気がさしてしまい、なんとも言えない不快感が湧き起こった。文藝春秋社のクセのある報道姿勢にも抵抗感があった(文芸春秋社はこの手記の他にも、本書刊行の2ヶ月ほど前の月刊誌「文藝春秋」に少年Aの供述調書が掲載し、物議を醸している)。ざっと流し読みだけをして、数年間、読まずに本棚の隅に置きっぱなしになっていた。事件から10年以上が経った最近になってもう一度読んでみることにした。 不快であることには変わりないが、ちゃんと読んでみてよかった。と言うのは、本書はこの事件の一つの鍵である「家族」、そして現代社会の多くの問題の根源である「家族」について考える重要なテキストであることに気がついたからである。 本書は事件から2年足らずの1999年春に少年Aの両親によって刊行された。父の手記と母の手記が交互する構成で、両親の手記に先立って、第一章の前には発行元である文藝春秋社(森下香枝というジャーナリスト?)による「刊行するに当たって」という一節がある。それによると、文藝春秋社は刊行の意図を「被害者側の『知る権利』に応えるべく」と表現している。勿論のこと、文芸春秋社は「読者」の事件の真相を知りたいという要望にも応えているつもりであったのだと思う。 文芸春秋は大出版社であるから、両親の書いた本書を校正したり、構成の手伝いをしたりすることは簡単だっただろうと思う。それをしなかったのは、おそらく、文芸春秋側は、資料的な価値が失われないように、両親の書いた文章を意図的になるべく直すことなく世に出すことにしたのだと思う。 Aの両親について語る時、両親を批判する文章になることはやむを得ないが、このブログで彼らを糾弾することが目的ではない。両親の書いたテキストと、両親について書かれたテキストをしっかりと読み、考えてみることによって、現在の親たちが抱えている問題点が見えてくるのではないかと思っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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