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Jan 12, 2009
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カテゴリ:その他 雑多

 9日に、NHKで家族に関する番組「ETV50「子どもサポートネット 親と子の現場から」があったのに、録画を間違えてしまいました。BBSを設けているみたいなので、覗いてみたら、なんと・・・そこには厳しい現実が。http://www.nhk.or.jp/heart-net/kodomo/bbs/index.html

家庭という密室にかかわる記事を書いている最中なので、余計に考えさせられるものがあります。 なんとか、救いはないだろうかと考えながら、このシリーズを続けます・・・。

<両親の真面目な一面>

それにしても、少年の家族については謎が多く、根が深い。何度も書くが、両親はこの年代の親の平均像からはなはだしく外れているわけでもなく、なんとか平凡な市民の範疇に入っているのではないかと思える。本書を読んでも、他の関係書物を読んでも、両親が極道者であるとか、学校に対してひどく攻撃的であるような親ではないことは間違いない。娘と隣人の子を殺害した畠山鈴香容疑者や無責任極まる発言をしていた女子高生コンクリート詰め殺人事件の親の何人か等に比べてみれば、Aの両親はかなり「まとも」な部類であるようにさえ思えてくる。

現在の小学校では対処困難な保護者が増えている。今の保護者は中学生時代が校内暴力で荒れに荒れたという世代である。Aの両親はおそらく昭和元禄とも言われる平穏な40年代に子供時代を過ごしている。父親は大企業勤め、母親はPTA活動にも積極的である。ニュータウンに住んではいるものの、下町の人情味を持ち合わせた部分も髄所に読み取れる。教育には熱心で、本書に書かれている子育てに関する話の多くも、無茶苦茶には間違ってはいないようにも読み取れる。淳君が行方不明時に、母親は積極的に捜査活動にかかわっている(地域での捜査の会議では淳君の写真を公開しない現状に「生ぬるい」と強く抗議している)。

父親は三男を連れてかなりの時間ニュータウンを歩き回って淳君をさがしている。父親は子育てに無関心だったように報道されているが、子供が小さい頃には子煩悩であったようだし、Aが事件を起こすたびに一応の注意(どれくらい心に響いたかは別にして)はしている。

例えば、気弱なAに、強くなって自分に自信が持てるようになるのではないかと、少林寺拳法を習わせている。それもA本人が習いたいと言い出すまで待つという姿勢をとっている。立派な態度である。しつけの厳しさも、度が過ぎている部分もあったのだと思う。それでも、虐待が顕著になり始めた1990年代後半以降の親たちに比べれば、Aへの愛情がとりたてて薄かったわけでもなさそうである。

今、現場で校内暴力世代の親と悪戦苦闘していると、10~20年前の世代の親が懐かしくなることがあり、どちらかというとAの両親は、私が懐かしく思う昭和元禄期世代の親であると思う。

<校内暴力世代親への過渡期>

だからと言って、彼らが、普通かと言うと、決して普通ではない。平均像からはなはだしく外れてはいないという範囲である。普通と異常の境界線上といってもよいかもしれない。Aの両親は10~20年前の親世代の中にすでに生じはじめていた微妙なずれを含み持っている。昭和元禄世代の親から校内暴力世代の親へと世代が移り変わる過渡期でこの事件は起きていると思う。普通ではない人のパーセンテージが多くなった今の時代の親に通じる面をたくさん持っている。

Aが書いた「さあ、ゲームの始まりです」という挑戦文はAが意図したわけではないのだろうが、日本社会が新しい局面に入っていることを告げているかのような結果になっている。世代交代は新しい社会の局面を生み出す大きな要素になっていると思う。ちょうどこの1997年に、小学校での学級崩壊が顕在化したのを覚えている。親の茶髪率が一気に加速したのもこの年である。私はこの年の入学式で思わず茶髪の親を数えた。私の勤めていた学校でその率は36%であった。茶髪の善し悪しは別として、親も子も、世代が変わりつつあったのだ。価値観が、優先順位が大きく変わりつつあった。

親の間違いがあったにしても、Aという特異な子供を持ってしまったというのは気の毒だったように思う。Aは土砂降りではなくても、長い時雨が降り続いて確実に増水してゆく川の水のようであったのだろう。それに対して両親が築いた堤防は所々ではしっかりしているかのように見えるのだが、所々で欠陥が目立つ上に、全体としてもずさんな作りになっていたのではなかろうか。

<「まずい親」の典型としてとらえる>

両親に関する情報はメディアに流され、世間からの非難の的になった。中には誇張されたものや誤った報道もあったと思う。誇張や誤報や先入観に惑わされないように気をつけながら、この後もさらにこの両親の独特気質(特に母親の気質)に関して、述べていきたいと思う。これから述べていくことは結構きつい指摘になると思う。しかし、それは、Aの両親を責めたいがためではない。私が考えていきたいのは、こういうタイプの大人・親・教師は一定の確率で社会に存在するという事実についてである。私たちはこういう親がいることを前提にして物事を見ていく必要がある。Aの発達障害に両親の独特の気質が加わって凶悪犯罪へと発展した。そして、凶悪事件にまで発展しなくても、Aの両親の失敗はあちらこちらで起こっている深刻あるいは軽妙な子育てトラブルの典型なのである。Aの両親は「まずい親」の典型であり、たくさんの今の親の中に(もちろん私の中にも)、この典型的な「まずい親」の部分が潜んでいるのである。

あらゆる事件は結局「現代を映し出す鏡」だと思うからこの10年以上も前の事件を見直しているのである。Aの家族が抱えていたことは、現代の教育に相通じているように思う。Aの両親は子育てにおいてとんでもなく大きな間違いを犯したとは思えない。それでも、子供の質や場の力によっては、転がり落ちるように事態が悪化していくことがあるということを私たちは見据えていかなくてはならない。

 






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Last updated  Jan 13, 2009 01:41:19 AM
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