テーマ:ゲーム開発者日記(457)
カテゴリ:小話
ゲーム開発者がゲーム雑誌に代表されるメディアに露出する機会が増えています。
この傾向は、主にPS時代以降に見られるようになった現象です。 ゲーム雑誌においてのインタビュー、対談、形態は多種多様ではありますが、 ゲーム開発者という名の元にメディアに取り上げられる事は珍しい話ではありません。 この露出については開発者の顔が見え易いという点に限れば、 肯定的に捉えてもよいであろうと考えています。 然し、実は、私は今のゲーム開発者の メディア露出の在り方については否定的な意見を持っています。 何故、否定的かという点を説明させて頂きますと、 メディア露出という公的な露出に値しない人間がメディアに露出し、 ゲームについて講釈をたれているのが我慢出来ないという事が最大の原因です。 以前に、売れないゲームを作っていたクリエーターがインタビュー記事の中で、 「このゲームが売れるか否かは、 ユーザーが真に面白い物を判断出来るかどうか、ユーザー側への挑戦なのです。」 というような記述がありました。 極めて傲慢な話であると感じました。 私は、このようにゲーム開発者としての力量に疑問符が付く段階のクリエーターは、 メディアに露出すべきでは無いと考えています。 そのような人間の記事を誰が読みたいと思うのでしょうか? そのような機会には、それに相応しい人間が応じるべきであるかと思っております。 彼らは、スターでも何でもなく、ただの開発者にしか過ぎないのです。 自己のタイトルを一定量以上を売り上げて、 尚且つ、ユーザーの評価を勝ち得てから講釈をたれるべきなのです。 その点において、任天堂の宮本氏に代表されるぐらいの面白いタイトル、 ヒットタイトルを飛ばす方については、メディア露出に関して異を唱える必要性は皆無であり、 むしろ、積極的な露出を促すべきであると思います。 その理由は、彼らは露出に足る人間だからに他なりません。 昨今のメディア露出は、それに足る人間がどうかの判断に欠けているように感じます。 ゲーム開発者にスポットライトを当てる事については、 私も開発者と喜ばしい事であるとは思っておりますが、 それは、それに相応しい位置まで登りつめた人間が担うべき役割であり、 それによって始めてメディアに露出する意味を見出せるものであると考えています。 作られた偶像のようなゲーム開発者を多く生み出さないためにも、 実を伴った偶像にならないだけのゲーム開発者だけが露出するように望みます。 最後に、皆さんは、このメディア露出問題、どのようにお感じになっておりますか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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