テーマ:今日の健康状態は?(10612)
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ハードなスケジュールが続いていて、ここ3日間はパソコンに向かう気力もありませんでした。今日は特別な用事も無くゆったりとできますが、明日からはまた仕事が続きます。ストレッチなどのトレーニングなどで体調の調整に努めてきましたが未だにイマイチという感じです。
43年間暮らした札幌の地を離れ、北広島市へ移り住んでほぼ1か月となりました。まだ荷物の整理が終わらず雑然としています。北広島市は明治16年(1883年)、広島県人が入植し総数25戸の村を形成したことに始まります。それが北広島市の名称の由来となっています。開拓移住の際に6歳の少年がポケットに入れて持ち込んだ赤松の種、それを自宅の庭に植え、そして育った赤松が今でも残されています。 赤松 posted by (C)ガリレオ二世 赤松の由来 posted by (C)ガリレオ二世 今年は終戦から66年を迎えました。もう少し早く降伏していたなら東京大空襲を始めとする各地での空襲、沖縄決戦、広島と長崎への原爆投下を避けられ数多くの命が助かったものをとの思いが。それ以前に、戦争を回避することが本当に不可能だったのかとの思いがありますが、歴史を戻すことはできません。悲惨な戦争を二度と繰り返さないとの誓い、そして平和を祈るしかありません。 平和都市宣言 posted by (C)ガリレオ二世 北広島市は平和都市宣言を、昭和63年に議会の全会一致で宣言しました。宣言は「平和の尊さを訴え」「核兵器の廃絶と大量殺りく兵器の禁止は国際的な重要課題」「非核三原則の遵守」「飢餓や病気が数多くの幼い生命を奪っている惨状も人道上の大きな命題」とし「北広島市は憲法の精神に基づく恒久平和の実現を願う市民の意思をここに表明し、平和都市を宣言します」とあります。 平和の灯公園 posted by (C)ガリレオ二世 平和の灯 posted by (C)ガリレオ二世 我が家からそれほど遠くない所に「平和の灯公園」があります。平和の灯は北広島市の市制施行を記念して、広島県の平和記念公園の「平和の灯」から分化されたものです。説明板には「広島県人が拓いたこの北の大地で、世界の平和や友好を願い、灯し続けます」とあります。 平和の灯 posted by (C)ガリレオ二世 平和の灯 posted by (C)ガリレオ二世 終戦66年を迎えたのを機にここを訪れ、戦争や震災で犠牲になった方々に黙とうし、一日も早い復興と二度と戦争が起きないよう祈りました。第二次世界大戦では私の父が捕虜となり、シベリアのハバロフスクに収容され、強制労働に従事しました。シベリアは過酷な地で数多くの方々が亡くなりました。日本側の調査による死者名簿には約5万3千人が登載されているとのことですが、アメリカの研究者ウイリアム・ニンモ著『検証-シベリア抑留』によれば、確認済みの死者は25万4千人、行方不明・推定死亡者は9万3千名で、事実上約34万人の日本人が死亡したということです。幸いにも父は生還しましたが、シベリアで亡くなっていれば私も生まれなかったのですから、私が生まれたのも奇跡に近いのかもしれません。
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