テーマ:戦争・平和(87)
カテゴリ:平和
昭和20年(1945年)8月14日、日本は連合国の降伏勧告(ポツダム宣言)を受け入れることを御前会議で決定しそれを連合国に回答。翌日8月15日にそのことを天皇の声でラジオ放送し(玉音放送)国民に周知したことから8月15日が終戦記念日となっています。
日本が正式に降伏した日は降伏文書に署名した9月2日であり国際法的にはこの日が終戦となります。連合国の主要国などでは9月2日を終戦日としていてこの日を「Victory Japan Day」と呼んでいます。 私は個人的には8月15日を終戦とすることに違和感を感じています。国際法的にどうこうという事では無く、ソ連邦の対日参戦によって戦闘はまだ続いていたからです。また大本営から陸海軍へは「積極的侵攻作戦の中止」の発令はなされていたものの戦闘停止の命令はまだ出されていませんでした。そのために米機動部隊に体当たり攻撃をかけ撃墜されるという事件も起きています。こうして8月15日以降も多くの悲劇が続きました。 私の父も召集によって参戦し捕虜となってシベリアのハバロフスク収容所で強制労働に従事していました。多くの人がソ連邦によって抑留され、厳しい状況下で5万5千人が死亡したとされています。何とか生き抜いて日本に帰国できた日が父にとっての終戦ではなかったかと思えます。 広島県に投下された原爆による「黒い雨」を浴びて健康被害を受けた人たちで「被爆者健康手帳」の交付を拒否された84人(遺族9人を含む)が訴訟を起こしています。国は今まで黒い雨が激しく降った大雨地域に限って援護の対象としてきました。それ以外の地域の人たちは原則として救済の対象とはなっていません。 先月29日に広島地裁で判決が下されました。黒い雨をめぐる初の司法判断です。判決では、原告の主張した専門家の意見を「関係資料と整合性もあり有力な資料」と位置づけ、黒い雨の実際の降雨範囲は国の大雨・小雨地域よりも広いと断定。原告一人一人に対し、農作業中や屋外にいた際に黒い雨を浴びたなどとした上で、がんなどの援護対象となる特定疾病を発症していることから、84人の原告全員を援護法上の「被爆者」と認め、手帳の交付を命じました。 しかし国は「これまでの最高裁判決とも異なり、十分な科学的知見に基づいたとは言えない判決内容となっている」として控訴しました。広島県や広島市などが国に求める援護対象地域の見直しについては「黒い雨地域の拡大も視野に入れ、最新の科学技術を用いて可能な限りの検証を行う」と表明したため県と市も控訴に同意する結果となっています。 終戦から75年経っても未だ解決しない黒い雨問題。原告にとっては終戦はまだ遠いのではと思われます。 戦争は遠い過去の話と思っている人も多いのではないでしょうか。しかし戦争による心の傷が癒えない人たちもいます。終戦とは「それぞれの心の中にそれぞれの終戦がある」のではと思われます。そうした人々の心の痛みに思いを馳せるのも平和を考える上で大切なことではと強く感じています。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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