テーマ:我が故郷(3)
カテゴリ:家庭ニュース
前回の続きです。北広島市を出発してから約163km、寿都町(すっつちょう)に到着です。核ゴミの文献調査受け入れで揺れた町で、大きなニュースにもなりましたから記憶している方も多いかと思います。
私の故郷島牧村(しままきむら)の隣町です。私は寿都町にある高校にバス通学していました。寿都町に入ってすぐに目につくのが風力発電の風車です。 寿都町は風が強い町としても知られていますが、丘の上の民営の風車は全国平均よりも30%も高い電力を生み出しているとのことです。町営の風車は11基あり毎年4億円近い売電収益があります。 狩場茂津多道立自然公園(かりばもったどうりつしぜんこうえん)の看板がありますが、寿都町・島牧村・瀬棚町の2町1村が対象地域です。 義経と弁慶の伝説は各地にありますが寿都町にもあるんです。義経一行は平泉から津軽を経て北海道に渡り寿都に滞在したと伝えられています。滞在中義経主従は再挙の兵を募って蝦夷地に向かう常陸坊海尊を待ったがついに現れなかったそうです。常陸坊海尊を待つ弁慶の姿です。 義経伝説は色々とありますが「衣川館を奇襲され自害した」のが史実と個人的には思っていますがどうでしょうね。 寿都町を経て島牧村に到着です。北広島市を出発したのが午前6時過ぎ、島牧村に到着したのは午前11時でした。途中で小休止などをすると5時間は要しますね。 上下の2枚の写真は私が生まれ育った実家のあった場所から撮ったものです。幼い頃はこの砂浜で遊び、海に潜ってはハマグリなどを獲りました。今は砂浜の面積がとても狭くなりましたが北海道南西沖地震などの影響でしょうね。 前日は大雨だったので海が少し汚れています。本来の奇麗なブルーの海では無かったのが残念でした。 私が18歳まで暮らした場所なので車を降りてしばし海を眺めました。私が札幌へ出た後には実家は同じ村の別の場所に移転。この海岸は海水浴場となり実家のあった場所は海水浴場の駐車場となりました。 海を眺めた後、車で5分ほど走った場所にあるのが先祖や父母の墓です。墓やその周囲を清掃し花と供物を供え手を合わせ感謝の意を伝えました。 島牧村は海岸線が長く山が海岸まで迫る地形なので平地が少ないです。狩場山系に広がるブナ原生林は日本一の面積を誇ります。日本の滝百選の賀老の滝、日本の渚百選の江ノ島海岸などがある風光明媚なところです。村の中には温泉がありますが、泉質の異なる温泉が点在するのが特徴です。 父は自分が生まれ育ったこの島牧村が大好きでした。亡くなったら島牧の地に眠りたいというのが父の意向でした。今は実家も無くなって墓だけが残っていますが、墓の移転をしないのはこうした理由によります。 母は生前「墓が遠いので誰もお参りに来てくれなくても良い」が父と一緒の墓に眠りたいと語っていてその通りになりました。「一緒にいれば誰も来なくとも寂しくない」と言っていましたから今は幸せでしょう。 にほんブログ村 北広島市は昨日早朝から雨で、ダラダラと降り続いていましたが今はようやく止みました。今日の最高気温は21度、最低気温は14.5度との予報になっています。 一昨日は仕事が忙しく疲れ果てました。昨日は応援があったので助かりましたがとても忙しいです。給料日の後や年金が支給された後は忙しい日が続きます。今日も明日も仕事ですが頑張ります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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