今日も21年前の写真を何枚か。20年っていうとそんなに昔という感覚は全くないんですが、こと中国さまを見る限り隔世の感を強く感じますね。
いわずと知れた万里の長城(八達嶺)。人の服装以外は今と同じでしょうね。このときは前門から中国人向け一日ツアー(確か5元くらいだったと思います。当時の1元は40円前後だったかと・・・)に人民たちと一緒に乗りました。乗ったバスは左側通行に変わった沖縄から払い下げられた左ハンドルの乗り合いバスで、日本語で書かれた行き先表示や押しボタンなどそのままの状態でした。
長城には駐在時に20回以上行きましたので、写真を見れば大体どこにいるかわかります。これは俗に「女坂」といわれる勾配がややなだらか(といっても相当のものですが)な方です。左側が北京市内方面です。現在の八達嶺は高速が正面の山をぶち抜いて右の方に抜け、通常の入口やロープウェイ乗り場は右側にありますね。当時は市内からここまでは対面通行の山道を2時間以上かけて来ました。
急に上海に移ります。これは豫園商場の中です。
これは豫園の庭園部分でしょうか。北京も上海も着ているものはほとんど変わりません。
この写真も6月17日の日記でも使いましたがスキャナーだとやはり鮮明。上海市の中心にある人民広場です。今では地下鉄の接続駅がこの下にあって高い建物がたくさん建っている場所になっています。左側が南京路(今は歩行者天国になっている)のはずです。この当時の上海は全体的に暗いうえに、人がやたらたくさんいたので第一印象は正直言って最悪でした。
この右側のビルは上海大廈のはず。この近くの浦江飯店というところのドミトリーに宿泊しました。
外灘(バンド)から黄浦江を見たところ。この左側が浦東で、現在は東方明珠タワーがあるところのはずです。この当時は浦東は何もなかったので、漁船がたくさん繋留されている記憶がある以外は全く何も覚えていません。このとき感じたのは、上海はかつては東京以上に発展していた都市だったはずなのに、30年以上完全に時間が停止して死に体の状態にしてしまったこの国の政治の責任は大きいということでした。その後の発展振りを見ると、国が政策を誤らなければ上海のような都市は容易に発展できることを証明していると思います。
あまり印象の良くなかった上海で唯一いい思い出になっていることは、魯迅公園を一人で歩いていると、日本語を勉強しているという上の二人の復旦大学の学生に話しかけられたことです。確か彼らは私と同い年で、上海以外のどこかの出身だったと思います。熱心に日本や日本語のことを聞いてきたことを覚えています。この後彼らの宿舎にもお邪魔しました。帰国後彼らには写真を送りましたが、その後どうなったのか。もしかしたら日本にいるのかもしれません。名前も忘れてしまったのでもう会うすべはありませんが、二人とも純粋で真面目だったので、今頃立派な方になられているのでしょうか・・・
そんなことで、またじじいの昔話みたいになってしまいました。お楽しみいただけたら嬉しいです。
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