今日はいろいろあって、今帰ってきました。ずっと21年前の中国旅行の昔話が続きますがお付き合いください。
香港から陸路深セン経由で中国に入国したあと、汽車で広州に行き2泊。このときは春だということもあり、街中で長細いサトウキビがたくさん売られていました。当時の人民はこのサトウキビをかじって、その食べかすをところ構わず撒き散らすので、広州駅前の広場はそれで一杯になっていました。それが中国国内に下り立った最初の印象です。
広州では同行者とローカルな食堂に入りました。そこでまず出てきたお茶でまずびびりました。お茶の表面に油がぎらぎら見えています。さらに、箸。当時は割り箸などはありませんでしたが、どうみても色が黒く見えるので、これを持っていったティッシュで拭いてみるとティッシュが真っ黒。皿も拭いてみましたがやはり真っ黒。あまり細かいことは気にしない方でしたが、衛生観念がまったくないことに愕然としました。このあたりでは、もう何故こんな国の言語を勉強してしまったのか、真面目に後悔を感じ、他の同行者も言葉少なく、恐らくみんな相当なショックを受けていたものと今になってみれば思います。
途中は若干省きますが、広州の次は桂林に行きたいと思っていましたのでその足の確保に向かいました。桂林に直通する汽車は切符がとれない状況でしたので、やむなく長距離バスに乗ることにして梧州という町で一泊、2日間ほとんどバスに乗りっぱなしでようやく桂林に着きました。このときのバスはかなりの山道を途中通過するのですが、どう見ても坂道を下るとき、ガソリン節約のためか、エンジンを切っていました。当時私は車の免許をとって間もなかったので、下り坂はエンジンブレーキを使うということが当然と思っていましたが、こんな運転の仕方がありうるのかと驚きました。ガードレールもない山道をこれで下るので、生きた心地がしませんでしたし、仮にこんなところで事故に遭っても誰も助けに来てくれないだろうと思いました。私も同行者もますます口数が少なくなっていきます。
これは広州~梧州のバスの切符。
続いて梧州~桂林のバスの切符。1日10時間は乗っていたと思います。途中停まったトイレ休憩では家畜と一体方式のトイレにまた愕然。
それでも、気を取り直して桂林に着き、バス停に雲霞のように集まってくるチェンジマネーの嵐を何とか交わしつつも、「丹桂飯店」というホテル(今はあるのでしょうか)に宿泊することになり、翌日の璃江下りの船の予約を何とかすることができました。確かに桂林の奇岩怪石や山水画のような景色はきれいで、船内で見知らぬ中国人と火鍋をつつきながら、何とかみんな元気を取り戻すことができました。
これは璃江下りの船の切符。往路の船と復路のバスの切符込みです。
ついでに桂林で乗ったバスの半券も出てきました。当時はまだ「分」という単位も結構使われていました。
桂林では次に向かう昆明までの汽車の切符を買いに行きます。この当時は桂林始発の長距離汽車は一本もなかったので、やむをえず特快(特急に相当)の硬座、それも無座という切符をみんな買いました。この汽車に乗れば車中2泊で昆明に着くことができます。確か汽車は夜の11時過ぎに桂林駅に入線する広州方面始発のものでしたが、到着が遅れていました。さて、悲惨だったのはこのあとです。やっと本題に行き着きますが、続きは明日にします。あまり期待しないでお待ちください・・・
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